リトリート番外編 精霊の木
「このあたりの人はみんな精霊が住んでいるという木があるよ」と海癒のみつさんに教えてもらって前回見に行ってきた精霊の木。
たしかに私もああここにはなにかがいるなあと濃い生命の気配を感じたところ。
今回最終日の自由時間、海遊び組と精霊の木組に分かれ、私は海遊び組へ。
ちょうどビーチからあがって海癒にもどろうかと歩いていると、興奮気味の精霊の木組が帰ってくるのにばったり出会った。
「手にびりびり来ましたよ!」とIさんをはじめ、みんなが口々に語る。
いやあ、やっぱりこれだけたくさんの人が感じるってことはものすごいエネルギーなんだろうな。
大岐の浜はとても生命の気配が濃い。
空気も風も独特の濃さがある。
生命の気配が濃いということは、死の気配もとなりあわせだということ。
私が大岐の浜に入っていた数時間後、ベテランのサーファーが同じ場所で事故で亡くなった。
たしかに最終日は普段とは明らかに違うおかしな三角波がたって、沖への巻きだしはとても強かった。
ご冥福をお祈りします。
でも私は生も死もこうやって身近に感じられるところで大地に足をひっつけて感じることこそがヨーガだと思っている。
ポーズとかそのあとに来るもので、まず自分がこうやって生かされているのは奇跡的な偶然の連続なんだと感じることこそが大切だと。
思いがけない病気や怪我をしたとき、雪山や沢でひとつ間違えればいつでも死んでしまう瞬間。
そんな生と死が隣り合わせだということをきちんと感じる場が、守られた都会のスタジオにはない。
口でいろいろ言う前にこういう場にみんなを連れだせば、頭が感じる前に本能がそれを感じとってくれると思ったのだ。
「楽しい」のすぐ横には「怖い」もある。「生命の気配」のすぐ横に「死の気配」。
本能がかきたてられる場では人の身体能力もとても強い力を発揮する。
スタジオの中でピョンピョン跳んで、強制的にクンダリーニを発動させなくても、雪山や波にもまれているとき「生きなくては」と感じれば人の底力というものは発動するのだ。
スタジオにいるみんなを外の光のなかへ連れ出すことがわたしの楽しみであり、夢である。
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私が高知の実家とよんでいる海癒。
朝ごはんにとKちゃんの友人のてっちゃんが一個一個心をこめて焼いてくれたパンが宅急便で届いた。
四万十川の湧き水をくみにゆく。


旬のものをみんなで買出し。
太平洋上の熱帯低気圧から大きなうねりが入ってくる。
いままでの人生でこんな環境で満月を見上げたことはなかった。
午前中大岐の浜で素もぐりをする。岩場にはけっこうたくさん魚がいる。ブダイの群れを見たりハコフグをつついたりする。魚影の濃い豊かな海である。
目の前の大岐の浜の砂浜は格別である。
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