お仕事

2008年9月 3日 (水)

ローラーブレイド

以前あるクレジットカード会社の法人営業部に勤務していたときのこと。

わたしは何社かの製薬会社を担当していた。中ノ島から担当先の会社までは電車を使うにも不便だし歩きではかなり遠い。自転車が一番合理的な移動手段となる。

でも法人営業部の何台かの自転車は朝一番から男性社員が夕方まで使っていてほとんどわたしは使えない。その当時はデータをマグネティックテープにおとしこみそれを授受するというやりかたで精算管理していたので、毎月ケースに入ったテープを徒歩で運ぶのがものすごい重労働だった。(タイトスカートとハイヒールという拷問のような装備だったし)

自転車を買ってほしいとかなり部長にも訴えたがなかなか総務での稟議が通らないのか買ってもらえない。

そこで、当時流行り始めたローラーブレードを買ってくださいと部長に申し出た。これならかかとでブレーキ操作もできるし、ものすごく時間の短縮ですと。足のサイズが一緒だから女子3人は使えるし、テープは背中に背負ってラクラク移動で絶対に速い!

「そのタイトスカートでも大丈夫か?それにすぐにみんな滑れるようになるのか?」「はいそんなに後ろにけりださないので大丈夫です。ブレーキもありますしみんなをトレーニングもやります。買ってください。」

わたしの熱意のこもった訴えに部長は「よしそれなら俺は印を押すから、稟議書もって総務の部長を説得してこい。うまくいったら使っていいぞ」と笑いながら言った。

稟議書をもって総務部に走っていった。おだやかに迎えてくれた私が好きな老総務部長は「今回はなにかいな」と。事情を熱心に語り、ふんふんと最後まで聞いてくれた総務部長は「それで先方について向こうの財務部長さんとお話するとき、これ履きっぱなし?。」

ハイヒールまで背負っていけないしなあ。「そうですねえ、履きっぱなしです」「エレベーターのなかも?」「なかもです」「むこうの会社でトイレに行くときも?帰ってくるまで履きっぱなしということやなあ。」

確かに履きっぱなしですと心のなかで反芻した。「むこうの部長さんにお茶に連れて行っていただいたら、そのままコロコロ滑りながらついていくの?」と部長に言われ、なんだか想像したその絵柄がおかしく私も笑い出してしまった。

総務部長も笑いながら「今回は面白かったけど、ちょっと現実的に問題あるなあ」と。

うーん残念、でもこの後もまだまだわたしの改革案は続くのだが、直訴に行ったおかげで自転車が一台配給になった。

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2008年9月 2日 (火)

いいチャンスだよ

Img_2213 ここのところ偶然かもしれないが、環境が変わり仕事をかえることになった方がわたしのまわりに数人いる。そこそこ年齢がいってから、お仕事を変えるというのは確かに気が重いし、「また今から新しいことを覚えなおしか・・」という気持ちにもなるだろう。実際わたしもそういう経験がある。自分よりかなり若いこの子が上司か・・・という。

でも環境がかわるべくしてかわるのは、そういう流れがやってきているということ。うんざりすることもあるけど、その何倍も新しくて面白い出会いの可能性があるのだ。人生の幅が広がる瞬間だと思う。いままでのお仕事で縛られてなかなかできなかったこと、どんどんやるチャンス。遊びでもいいし、旅でも、次の仕事でもいいだろう。

見えないけれど、魅かれることがらはどこかで糸がなんとなく引っ張りあっていて、ある時するりとつながったりする。自分が何をしたいのかわからないときは、バタバタあわててなんにでも首をつっこむのではなく、耳栓をして静かな湖の底に一度沈んでみるのもいいかも。あわてると見えなくなるし、聞こえなくなるからね。お水が澄んだらまた見えてくるでしょう。お水は台風の後はすぐには澄まないけれど、かならず時間がたてば澄んでくるから。

今の迷える時間も必要な時間だから、ゆっくりいい空気をすってね。あわてず澱まずいきましょう。

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2008年7月11日 (金)

仕事編 Ⅲ 100人に聞きました

Photo 「クイズ100人に聞きました」

今は知っている人も少ないと思うが、昔こんなクイズ番組があった。100人に同じ質問をして、一番確立の多かった答えをあてるというものだ。ほんとうに100人に聞いているのかなあと思っていたが、聞いているのである。

というのも100人に聞くアルバイトを手伝ったことがあるからだ。85年のタイガース優勝が間違いなく決まるであろうというタイミングで、甲子園球場の周辺でタイガースファンにいろいろな質問をなげかけるのである。100人に聞くとはいえ、まあ能率的に10人のバイトが20問くらいの質問を10人の人に尋ねるという方式である。立ち止まってくれる人もいるし、そうでない人もいるから1問を100人に尋ねるよりはかなり能率がよい。

「優勝が決まったら何をしますか」

「日本シリーズはどこと対戦したいですか」などなど約20問、結構早く終わるだろうと思ったら・・・とんでもないのである。

ほかの内容ならともかくタイガースファンが、負けて負けて負け続けていたタイガースを涙がでるくらい応援し続けたファンが、そんな質問に一言で答えるわけがないのである。フレンドリーな感じの人に声をかけるが「優勝が決まったら・・」と私が言いかけると、おっちゃんたちは涙ぐみあつくあつくタイガースを語り始めるのだ。

100人に聞きましたと大きく書いた腕章をはめてインタヴューしているのだが、その腕章を見て「わしも言いたいことがある」とまわりのおっちゃんたちも寄ってくるのだ。

私をふくめた10人のバイトのまわりは黒山のひとだかり。この様子に驚き、これはいつまでたっても終わらないと恐れをいだいた番組制作会社の人があわてて走ってきて、答えをおおまかに5択くらいにして○をつけて選ぶ形式に変えた。

まあそれでもみんなが口々に言いたいことをいい、時間は当初の予想よりかなりかかったのだがなんとか午前中にバイトは終了した。午前中だけしかも2時間くらい働いて楽なお仕事だわと思っていたら、午前中で10日ぶんくらい疲れた。

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2008年7月 3日 (木)

仕事編 Ⅱ 添乗員

Img_2201 さて前回はたった一日しか続かなかった仕事のことを書いた。今回も学生時代のアルバイトで、例の最短就業仕事を辞めたあと面接にいった仕事のお話である。

某K日本ツーリストで修学旅行の添乗員(体力と元気がある方)という募集を見て、前回おしとやかな仕事を選んで向いていなかっただけに、今回は体力と元気という言葉に魅かれて応募した。

一日先輩のプロの添乗員について研修のあと、すぐに修学旅行の添乗業務本番である。私が添乗した修学旅行はすべて伊勢志摩への旅行。そのうちほとんどが近鉄の青空号という専用列車で伊勢に向かい、お伊勢さまにおまいりのあと、ミキモトパールアイランドで真珠の養殖を見学、鳥羽水族館、ブラジル丸でカレーを食べるというツアー。実際わたしも小学生のころの修学旅行はまさにこのルートであった。

修学旅行は実際は先生方がほとんどのまとめをやってくれるので、私がやるのは旅館や施設入場時にバウチャーを渡すことと、時間通りにイベントが進むようにタイムキーパーをすることなどなどである。一番大変なのはバスとは違って電車はオンタイムに発車するので、大人数を大急ぎで狭い入り口から乗せて、うまく着席させることである。そのあとは子供の間にすわって、おやつを分けてもらったりしていた。絶対おなかが痛くなる子がでたり、大暴れで怪我する子もいるので手当てしながらできるだけオンタイムで動く。本当に体力と笑顔のいる仕事だったけどまあこれは楽しかったし向いているなあと思った。

一番記憶に残るのはある養護学校の修学旅行である。ほかの小学校とは違って、分刻みのスケジュールではなくとてもゆっくりした時間割。水族館もどこもいかずに伊勢志摩の静かな海辺の宿にいって、海辺で遊んだりキャンプファイヤーをしたり。重度の障害がある子には先生がほぼマンツーマンでつくので、わたしはそのほかの子供たちと手をつないで歩く。全部で20人くらいのおだやかな旅行である。みんなとても人懐こくて、わたしの腕には子供が鈴生りになってもうまっすぐ歩けない。学校以外の人がとてもめずらしいのだ。みんなで貝ひろいして遊んだ。

貝拾いの途中、トイレにいきたいという子を連れて旅館に帰った。そのときトイレの横に古いピンボール台があったが、すっかり壊れてうごかない。トイレから出てきた子供がピンボール台を触って、「動かないね」というので、「古いし電気きていないからね」というと、「○○養護学校やから?」と私に尋ねた。えっ?と聞き返すと「いつも養護学校の子はさわったらあかんって言われるしこれも電気ぬいてあるのかな」と。

胸にズキっときた。こんな小さな小学生が気をつかうほどそんな言葉を言われ続けているのか。

この子たちの前にはたくさん小石が転がっているけど、小石なんかで怪我しないようにみんなが元気で歩いていけますようにと思った。

夜はキャンプファイヤー。普段大きな火をみない子供たちはすごくわくわくしている。そして突然「添乗員の先生にひとつ歌をうたってもらいましょう」といわれた。えええええーっ、聞いていませんというと今決めましたと校長先生に笑顔で返された。どうしよう、本当に子供のころから親譲りのオンチで・・・。そして歌なんて急に言われてもなにも思い浮かばなくて、石のように固まってしまった。そうだ、「も、森のくまさんでいかがでしょう?」というとみんなも知っているとのこと。あれならセリフ(というかソロパート)少ないしなんとかなるかと、大汗をかきながらなんとかみんなに助けてもらって歌いおわった。

なんだか自分の修学旅行より思い出深いのがこの修学旅行だった。

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2008年6月30日 (月)

仕事編 Ⅰ どうしても

Nec_0110 アルバイトを含めるとこれまでいろいろな仕事をやってきたなあと思う。けっこうたくさん仕事話があるのでひとつカテゴリーを設けた。

実はたった一日しか続かなかった仕事がある。関係者の方にはご迷惑をおかけしたと反省しているのだが。

学生時代いろんなアルバイトをしたが、飲食店でウェイトレスをやったことがなかった。パラパラと求人誌を見ていると夜の水商売ではないけれど、芦屋の会員制レストランで自給2500円という仕事が掲載されていた。その当時自給850円で水泳コーチをやっていたわたしは、週に1から2回の出勤でOKという条件もよく、何気なく面接にいくことにした。(本当に水商売じゃないのかきいてみようと軽い気持ちだった)

採用人数は2名と書いてあったが、面接にいってびっくり。レストランの外にまでずらずらと女子大生が並んでいて30名くらいいるではないか。うわーこれじゃだめだ・・・しかもみんな綺麗なスーツ姿でこれまた気配りの足りない私は普段よりさっぱり見える程度のパンツとシャツ姿で。番号札を渡されたし、帰るわけにもいかなくて長い行列を待った。

1時間ほど待ってからお部屋に招き入れられた私を待っていたのは、フカフカと毛足が長くて転びそうなカーペットと、上品そうな銀髪の男性だった。面接内容ももうあまり覚えていないが、「すみません、ウェイトレスも飲食業も初めてなんです」と開口一番大きな声で言ったのはおぼえている。やれやれと思いながら家に帰って、また求人誌をみていると電話がありなぜか採用がきまった。翌日研修をやりますのでといわれた。なんで私なんだろうとは思ったが、まあせっかくなので翌日レストランに向かった。

その日は学校は休みで終日研修。驚くことに(普通はそうなのかもしれないのだが初めてだった)制服として白いシルクのブラウスにスリットが入ったロングタイトの黒スカート。10センチくらいのハイヒールまである。ハイヒールを履きなれない私にはそんな靴で毛足のながいカーペットに乗るだけで平均台を歩くようなものである。

そして教育係ロッテンマイヤーさんが登場した。背筋のピシッと伸びたロングドレスを着こなした妙齢の女性である。まずは歩き方のトレーニングから。どうしても大またで歩いてしまう私は「そんなんではスリットが破れてしまいます!もっと上品に!」ときつくお叱りをうける。

次は発声練習。「いらっしゃいませ」「かしこまりました」などなど声に出してみるが、なんと声が大きすぎるとしかられる。いままでのアルバイトで声が小さくてしかられることはあっても、大きすぎて文句を言われたことはなかった。

バブル期の会員制レストランだし、一日一組か二組しか予約はとらない。一回のお客様はだいたい40万円から50万円くらいのお食事料金になる。ほとんどが接待という感じである。大理石ばりのお手洗いはお客様が入られたらすぐに静かに掃除する。いつも静かに笑顔でお客様の様子を見守る。などなど、野生児の私にはもう極限のつらさである。

わたしにとどめをさしたのは、お昼ごはんのまかないであった。もちろんシェフが作ってくれるのだが、その日はカレー。でもカレーののっている食器が・・・なんじゃらというものすごく高価なブランドのお皿。シェフが「気をつけてね、一枚5万円くらいするよ」と小声で教えてくれて。しかもスプーンが銀・・・重いよ!違う意味で!

結局まったく味がわからないままビクビクとお昼ごはんが終了し、午後からは重い銀のトレーでワイングラスを運ぶ練習など。一日で100年分くらい年をとったような気がした。

研修を終えてレストランを一歩でて、どうしてもどうしてもこの仕事は向いていないと思った。申し訳ないとは思ったけど、即日オーナーに電話して正直にお話した。ロッテンマイヤーさんが丁寧に研修をしてくれたのに申し訳ないけど、絶対このまま働くほうがお店にも迷惑をかけると思った。結局オーナーも残念だけど今回はご縁がなかったと考えますと納得してくださった。いやーほんとうにすみません。

でもやはり能率よく仕事をこなすには適材適所って必要な考え方だ。もっとも続かなかった仕事としてこれは私の中のほろにがい思い出である。

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