インド番外編 唐辛子
『唐辛子、どう?』
ファストフードの人形も、唐辛子を振りかざすこの国、インド。
毎日毎食、しっかりスパイスの入ったカレーなので、冷え症しらず。
昔、冬山で足が冷えて辛いとき、靴下の先に唐辛子を入れていた(結構ホカホカと)。
カイロを貼るより、靴下を履くより、やはり何よりもスパイスこそ。
ファストフードの人形も、唐辛子を振りかざすこの国、インド。
毎日毎食、しっかりスパイスの入ったカレーなので、冷え症しらず。
昔、冬山で足が冷えて辛いとき、靴下の先に唐辛子を入れていた(結構ホカホカと)。
カイロを貼るより、靴下を履くより、やはり何よりもスパイスこそ。
小包つくり職人さん。
インドから荷物を送るときは、ダンボール箱に詰めてから、小包つくり職人さんのところに持っていって、布でまわりを縫ってもらって、封緘しなければならない。
再び開けるのもためらわれるほど、ぴっちりとした、とても綺麗なまつり縫い。
自宅に届いた荷物の縫い目がやっぱり綺麗なので、ウットリ眺めていると、端っこがビリビリと開けられたあとが!
日本の税関で点検されたようである。
(内容物のところに、Booksとしか書かなかったのに、紅茶も詰めこんだからか?)
税関職員の方、まつり縫いは得意ではないのか、ガムテープでとめてあった。
インドに入って間もない時は、チャイの甘さがつらく、シビれそうになるのだが。
普段、飲み物には砂糖を使わないので余計にそう感じるのかもしれない。
でも、しばらくインドの空気に馴染んで生活していると、これがだんだん美味しく感じるようになってくるから不思議である。
乾いて暑い街中を歩きまわり、小さなチャイ屋さんで飲む甘くて熱いチャイは美味しく、細胞に染み渡る気がする。
インドではインドの、日本では日本の土地の飲み物がやはり一番美味しいのだろう。
インドのロナワラの谷を見下ろす石窟寺院のそばには、ヒンドゥ寺院があり、休みの日にはあちこちから、一張羅を着た人々がお参りにやってくる。
華やかなサリーに身をつつみ、羽根の綺麗な鳥たちのよう。
登山道の麓にはお供え物を売る売店がたくさん。
もちろん、神さまに供えるお花やお菓子も多いが、山羊や鶏専門店も。
山頂の寺院まで連れてあがり、生贄として捧げ、その後、お下がり物として肉をありがたく持って帰るのである。
日本では最近はこういう儀式は目にすることが少なくなったが、やはり、人柱なんていう習慣もあったし、『生贄』という考え方はどこの国にも存在するのかもしれない。
今回のインドで、カイヴァリヤダーマのフィロソフィー デパートメントのサハイ先生に伺ったお話が非常に興味深かった。
フィロソフィー部門では、古典文献の出処はどこなのか、写本などから徹底的に調べ、信頼出来る古典文献を見つけること、そして、ヨーガにおける正しいコンセプトを理解すること、を大きな二つの目的としている。
全てのヨーガに関する古典文献には、心のコントロールについて書かれている。
つまり、アーサナはヨーガの準備でしかなく、そこで終わったらヨーガではない、と、サハイ先生はズバリ断言されていた。
『呼吸と、心の集中、心身の安定』
ヨーガの実践で行うことは、実は日常生活でもしばしば起こっている。
例えば、針に糸を通すとき、呼吸はとまり、集中し、身体を安定させ、他からの不要な情報をストップしている。 まさにこれが、ヨーガ、の目指す状態である。
偶然それが起こるか、わざわざ行うか、がヨーガのプラクティスとの違いというわけだ。
サハイ先生のお話はわかりやすく、大変興味深かった。
長くヨーガを実践されている先生方に今回たくさんお会いしたが、みんな一様に呼吸が深く長く、地に足がついた安定感があった。
自然療法にお話しをもどして・・・。
「自分が食べたもので、身体はできる」
冷凍されたものや、保存食など、Prana(生命)の入っていないものを採りつづけると、生命力のない身体になってしまう。
なかなか、現代の忙しい方々には難しいかもしれないけれど、
「日の入り前、太陽のエネルギーのあるうちに夕食をとりなさい」
「食べてから、寝るまでは少なくとも3時間はあけるように」と。
自然療法は大きくわけると、Internal Cleansing と、External Cleansing に分かれる。
断食や少食で消化器官をやすめ、浄化していく、内側の浄化 Internal Cleansing。
マッサージや泥パック、スティームバスなどで排出機能をうながす、外側の浄化 External Cleansing。
ついつい、目につくところの外側のトリートメントが自然療法のように感じられるが、実は重要なのは Internal Cleansing 内なる浄化なんだよと、ニサル先生(ナチュロパシーのドクター)に教わる。
そして、これはどこにいようと、本人の意思でいつでもできることなんだと。
Prevention is better than cure.
自然療法に話はもどり・・・。 今回のインド滞在中、何度も繰り返し聞くことになった五元素の話。
わたしたちの外にある自然も、内なる自然も、「空・風・火・水・土」の五元素で構成されている。
空 ひろく空間をひろげ
風 流れをうみ
火 変容させ
水 つなぎ
土 安定させる
まさに、自然治癒力の原点である。
なかでも、空(くう)が大切だと、ドクターに教わる。
Fasting(断食)で内臓のなかの空間を広げ、排出機能を正しく働かせる。
Meditation(瞑想)で心と魂の空間を。
そのアカーシャ(空間)に、ヨーガでPranaを取り込むんだよと。
そうか、なるほどなあ。 だから、ここニサルゴプチャールでは朝にはヨーガクラスがあり、夜にはチャンティングと瞑想の時間があるんだ。 身体のケアも、心のケアも、一緒におこなわないと効果が出にくいということなんだろう。
私はラピスラズリという青い綺麗な石が大好きである。
深い瑠璃色に、宇宙のように星が散らばって見える。
今回インドの旅の仲間が、びっくりプレゼントをくれて、この瑠璃色のガネーシャさんがうちにやって来てくれた。
それをうちのシヴァ神(破壊神)が早速、くわえて走ったので、ハリセンで頭をしばいた。
実は以前、ロナワラのカイヴァリヤダーマで、ナチュロパシーとアーユルヴェーダのトリートメントを受けたことがあったが、その違いがいまいちわかっていなかったのである。
薬草やオイルをおしむことなく使いまくるアーユルヴェーダは、実は王侯貴族への施術だったことを今回知った。
これにはもちろん熟練のアーユルヴェーダ医がそばについてくれることが必要である。
一方、ナチュロパシーはすべての人が実践できる方法論。
自分の生活環境や食をみなおし、自然の法則に添って生きているか、向き合うことになる。
マハトマ・ガンディー・ジが、このように枠組みを決めているのだと、施設の代表のニシャール先生に教わった。
「どこの村でもできる方法でなければ、実践が続かない。
安価で、どこでも手に入るものを使う。
おひさま・泥・水・オイル・新鮮な野菜。
お金がない人には無料で施術するように」と。
西洋医学では検査で身体のどの部分が悪いか分離して、病を見つけるが、身体トータルを見て、生活の仕方から全体を眺めるのがナチュロパシー。
本人の生活を改めず、血圧があがれば降圧剤、コロステロールが高くなるとそれを下げる薬、風邪をひいたら風邪薬などをのみまくり、自分の身体の声をきかず、原因をふりかえらない現代人にはなかなか浸透しにくいものかもしれないが。
自分の自然治癒力をひきだすにはどうすればいいかを、このアシュラムでの滞在で振り返ることになった。
Naturopathy is a way of living not the course of treatment.
Follow the load of nature.
自然の法則にしたがって生きなさい。
今回滞在したナチュロパシーアシュラムで、言われ続けた言葉である。
身体が熱をあげるのは、細菌やウイルスに対抗し、治癒に向かうための素晴らしいシステムなのに、解熱剤をのんで熱をさげるのは自然の法則に反することだ。
他の生きものやその卵を食べることも、他の生きもののミルクを飲むことも。
ミルクは赤ちゃんのためのものなのだ。
ホウレンソウのなかには私たちに必要十分な塩分が、全粒粉のチャパティには十分な甘みがある。
出来るだけ自然なものをそのままでいただき、野菜やフルーツの生食で身体の酵素を活性化させる。
Prana(生命力というのか、自然のエネルギーというのか)の入っているものを食べ、生命の感じられないもの(加工物や冷凍食品など)は食べない。
最初の数日間、こんな豊かな食事をいただいているのに、わたしは口内炎が出来たり、リンパ節が腫れたりして少し体調をくずしていた。
先生に尋ねると、ヒーリングクライシス(好転反応)といって、自分がいままで無理をして押さえつけてきていることなど、身体に不要なものの蓄積を排出するために、いったん悪くなるというか、熱がでたり、お腹をこわしたり、いろいろな症状が出て、そのあと自然治癒力の回復とともにどんどんよくなるそうである。
こうして、自分の治癒力と向き合うことになる。
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