インド

2009年8月10日 (月)

チベット占星術

Img_4538Tibetan Medical & Astro Institute(メンツィカン)からメールが届いた。

3月にダラムサラに行ったときにメンツィカンを訪れて診察を受けたとき、敷地内にあるAstro Institute 占星術部門にも寄ってみた。

ここでは自分の生まれ時を基準にその人の運勢や暮らし方への指導なども行ってくれる。
ただ、占いが出来る医学博士が数人しかいないので、行ってももちろんその日になんて占ってもらえない。
リストに名前や生年月日など占いに必要なものを書いて帰ってきたのだ。
それで、5ヶ月たってやっと占ってもらえる順番が廻ってきたというお知らせのメールなのである。
自分が今でも占ってほしいと思うなら、ダラムサラに電信送金することになる。
それから占い開始なので、結果はまた1~2ヶ月先になるだろうけれど。

楽しみだ。

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2009年4月12日 (日)

インド番外編 Ⅷ

Nec_0887ダラムサラの小さなお土産やさんでのこと。

念珠を捜していて、ふらりとのぞいた店でいくつかの念珠のなかに品質のよさそうなルドラクシャがぶらさがっていたので店に入ってさわってみた。

いくらと尋ねるとけっこう高額。

「本物だよ」と陽気な店主が言う。「本物のルダラクシャは、水に浮くんだよ。偽ものは沈むから見ていてごらん」

店番の小僧に水をくんでこいという。

「いや、わざわざ水に漬けなくていいよ。値段も予算より高いから」と言ったが、まあまあ見ていて絶対浮くからという。走ってもどってきた小僧、小さなチャイのグラスに水をくんできている。おっちゃん、困惑顔をしながらぎゅっとグラスにルドラクシャをつめこんで(どぼどぼと水はあふれ)一緒に眺めるものの、コップにみちみちに念珠が入って浮いているかどうかもわからない。

「これじゃわからないね」と一緒に笑い出した。値段も高いしさっさと出ようと思ったけど、おっちゃんが面白くてちょっとしゃべる。

ルドラクシャの意味はね・・・としゃべり始める。ルドラがヒンドゥのシヴァ神の化身、クシャが涙だからシヴァの涙という意味なんだ。これはインドの樹だからね、こういう(他の木の念珠を見せて)輸入品とは違う。オリジナルだからね。

どうも多くの念珠というものはインドネシアあたりから輸入するらしい。

「ブッダが悟りをひらいたのもこの菩提樹の下だしね」というと、その通りだという。「いくらなら買うんだ、値段は相談するよ」というので、実は私はひとつ持っているのよという。ヨーガの自分のグルにもらったのと。

「この珠は108個あってな・・・」  煩悩の数だね。「マントラを胸のうちで唱えながらこうやって念珠を繰ることを・・・」  ジャパだね、といくつかのやりとりがあり「お前は日本人で観光客なのに割とよく知っているな。ヒンドゥ教か?」という。ヒンドゥではないけれど、ヨーガを学ぼうと思ったら自然と知ることになったんだよという。

「でも、今のインドのヨーガの教祖なんてほとんどニセモンだぞ。ひげ生やしてオレンジの服を着たらわしだってすぐにサドゥだしな。それでマントラのひとつも唱えたら外人はみんな喜んでお布施するしな。宗教と信仰は似ているようで違う。人が群れて団体をつくると絶対そこには純粋な宗教がベースであっても、金がついてまわる。本当の信仰というものは声に出さなくても、群れなくても自分の胸のうちにあるものなんだ。」

このおっちゃんなかなか面白い。こんな会話が普通に小さなお土産やさんでなされるのは宗教や信仰がとても自然に生活にとけこんでいる地だからだ。

なんだかんだと40分ほどしゃべっていた。「日本人はあまり値段も聞かず(だからふっかけるんだ)、宗教具をただのお土産としてごっそり買っていくんだよ。あれ、何につかうんだ?」 なるほどね、そうだよな。日本に遊びにきている外国人がわけもわからず仏像などをごっそりインテリアとして買ってかえっていても、ふーんとしか思わないもんな。

結局、おっちゃんの提示する金額の5分の1くらいの金額しか残っていないし(出す気もないので)、「今回はあきらめるわ。でもすごくお話が楽しかったわ。ありがとう」というと、「わかった、今度もう一度来るならそのときはお前の言い値で売るよ(今売ってくれよ)」と。

「カシミールに行くの」というと「おお!あそこは独特の文化があってヒマラヤのふところの素晴らしい場所だよ。気をつけて楽しんでおいで、そしてダラムサラにもまた帰ってくるんだよ」って。「ルドラクシャを買いにね」「そうだ、これを買うためにだ」

握手しておっちゃんと別れた。

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2009年4月 3日 (金)

インド番外編 Ⅶ

Img_4506 Img_4471 Img_4577 Img_4693私の好きな乗り物特集。

パタンコットからダラムサラに行くときに次々と人が走ってきてつかまり、傾いたバス。

そして次々と手をはなして途中下車していく。
こんなの日本でやったら「危ない」ってめっちゃ怒られそうだけど、みんな飛びついては飛び降りている。
なんかインドの人って生き生きとその日をいっぱい生きている。そして我慢というものをしない。とにかく自分がやりたいことをやるので、クラクションなりっぱなし、追い抜きをかけている車を逆側から追い抜くなどなどもう無法地帯である。でもよく考えると、我慢ばっかりしてストレスをかかえている日本人より余程健康に見えるが。
まあでもインドでは絶対に運転したくないなあ。

パハルガムを走っていたものすごい装飾のバス。
前からチェーンなどをたらしているので、「これ何のため?」と尋ねると、「いいだろう」と自慢された。
派手なのがいいんでしょうねえ、とにかく。
次回はインドのデコトラをぜひ撮影してまわりたい。

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2009年4月 2日 (木)

インド番外編 Ⅵ

Nec_0855カシミールティのつくりかたを教わってきた。

寒いカシミール地方ではみんなが一日に何倍もこのお茶を飲んでいる。たしかにこのお茶をいただくと身体が温まるのだ。
ダラムサラではしょっぱいバター茶だったが、同じように身体を温める成分がいっぱい入っている。

生姜2スライス・カルダモン・シナモン・サフラン・グリーンティを15分間煮詰めて、砂糖やはちみつをたっぷり入れて飲む。
シナモンは木の皮のようなものがごろんと入っていた。

サフランはとても高価なので、にせものも出回っているらしい。サフランを買うときはひとひら手の上にのせて、ちょっとつばをつけた指で花びらをなで、赤い色が出なかったらにせものらしい。
「買うときは必ずそうやって品質を試すんだよ」と教えられた。

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2009年4月 1日 (水)

インド番外編 Ⅴ

Nec_0850鉄道の駅でたくさんあったもの。

「体重計」

なぜ鉄道のプラットフォームなのか、そして大人から子供まで喜んで体重計に並んでまで乗るのかわからない。
(日本人の女性ならぜったい嫌がるだろうな)
まわりのみんなも計っている人の体重を一緒にのぞいて、きゃあきゃあと言っている。

そういう文化なのか・・・?

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2009年3月31日 (火)

インド番外編 Ⅳ

Nec_0879旅先で心がけていることは、とにかく現地の言葉がしゃべれなくても、「ありがとう」だけは現地の言葉でというもの。

今回は5種類の「ありがとう」を使うことになった。

デリーエリアはヒンドゥで「ダンニャバード」

ダラムサラではチベット語で「タシ・デレ」

カシミール言語の「ミハルバニ」

カシミールから山のエリアの「シュ・クリア」

そして英語で話す方に「サンキュー」である。

言葉は通じなくても共通するのが目での挨拶だ。
これは世界中共通の言葉だな。

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2009年3月30日 (月)

インド番外編 Ⅲ

P3230196 P3230198 P3240221パハルガム村にはヒマラヤからの豊かな水を取り入れる水路がいくつもある。

水路のそばに水車小屋があって、誰がいつ使ってもよい。
ちょうど粉をひいている村の人がいたので写真を撮らせてもらった。

小麦を挽くこともあるけど、今回はコーンをまず煎ってポップコーンのようにしたものを上から入れてそれを細かく挽いている。これをこねて平らにしてパンにしたり、カシミールティに入れてかき混ぜて飲んだりするそう。
「お茶にー?」と言うと、日本人は粉を入れて飲まないの?香ばしくて美味しいのにといわれた。
一握りのポップコーンをもらって、パリパリといただきながら水車の音を楽しんだ。

ツルであんだカゴはKANGRI という携帯火鉢である。
カゴのなかに素焼きのつぼが入っていて、そこに炭を入れるとほかほか長時間あったかい。
みんなファルンというあの長いコート(のようなワンピース)の中でぶら下げている。
一人こたつ状態である。
これはずいぶん温かかった。

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2009年3月29日 (日)

インド番外編 Ⅱ

Img_4421 Img_4699 P3200085 P3200086 P3210105 P3230132 P3230135 P3230193 Img_4539食べ物特集。

今回はチベット文化圏が多くて食事はかなり口にあった。
デリーで食べていたスパイス満載のカレーもとっても美味しかったけど、ずっと続くと日本人は胃がやられそう。

フライドライスやフライドヌードルがかなり日本の味に近くておいしい。
チベットの餃子のモモはスープに入っていたり、蒸してあるものやフライしてあるものなどいろいろ。

屋台のおっちゃんが売っていたなにかのすり身のようなフライも美味。

黄色いデザートは寒い日に山小屋ででたんだけど、「これはなに?」と聞くと「カスタード」と。
もしかしてシュークリームに入っているような甘いカスタイドクリームがおわんいっぱいに入っているのかとぞっとしたが、食べてみるとカスタードの味だけど葛餅のような、ちょっと片栗粉でのばしたような風合いで甘すぎずついつい食べてしまった。
身体が温まった。

カシミールではバターとはちみつがいつも出たけど、バターは山の放牧のジプシーから買っているということで、めちゃくちゃ美味しかった。はちみつは基本的にアカシアとロータスのもの(ロータス入りというのは珍しい)でこくがあり、カシミールティにも入れる。

今回わたしは免疫が出来たのか、食事が身体にあっていたのか全くお腹を壊さず、毎日ぱくぱくといただいてつやつやになって帰ってきた。

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2009年3月27日 (金)

インド 番外編 Ⅰ

P3190015タイの空港でトランジットホテルをチェックアウトし、手荷物とボディチェックを受けてさあ搭乗口へというとき。

デリー空港のDUTY FREEの袋に入ったままのローズウォーター(200ミリリットル)2本をX-RAYにとおし、受け取ろうとしたらだめだという。
「だって、これは出発する空港のセキュリティのあと購入して機内に持ち込み、今たまたまここでトランジットしているだけで、未開封で完全にピッチリとシールされているんだけど」と言うと、迷ったお姉さんが上司を連れてきた。

このように(と見本を見せて)「50ミリリットル以上の水分の持込はレギュレーションで禁止されているんです」という。
日本からの便でそういうレギュレーションがあることはもちろん知っている。でもこれはセキュリティのあと購入しておたくのタイ航空で移動してきたのよと反論。
「じゃああれは何よ」とタイの空港で化粧品を買った人のボトルを指差す。
「あれはこの空港で購入したものだし。それにDUTY FREEのバッグがぴっちりと封されているでしょう。あなたのはあいているからだめ。」
「だってこれはインドのDUTY FREEがそういう袋を使っているからでしょう。(封できない袋だった)」
とにかくそのボトルをここに捨てろという。
ゴミ箱を見せて「ほらここにもこんなに新品の酒が捨てられているだろう」

なんや、この国。なんやこの係員。

絶対に納得がいかない。
最初は丁寧な英語でしゃべっていたけれど、もう「Could you とかWould you」はふっとんだ。以下全部命令形で大声でどなっている。
「一度もあけていない空港で購入した新品のものまで捨てさせるのか。(あとでこいつらが飲んでるんちゃうんかとまで思う)じゃあそういうレギュレーションは世界中で統一しろ。
持ってかえっていいというから買ったのに、ここから先は捨てましょうとはなんや。
不条理じゃないか。
ここのデリー空港のレシートに電話番号がある。この携帯かしてやるから、お前が今ここで電話して今後は50ミリリットル以上の水分を売るなと今言え、すぐ言え。」

「とにかく捨てないならずっとタイにいることだな」とむかつく発言をする。

「お前レベルじゃ無理だ。誰かまともな英語と日本語しゃべれるやつよんでこい」と私が怒鳴る。

するとその係員は私の袋をかかえたまますたすた歩き、追いかけると、ポイとその袋をセキュリティの入り口までもどして地面においた。
そしてそのままなにもしゃべらずに自分の持ち場に戻っていった。

こんなのおかしい。なにか方法はないものかと考えた。
ボトルを買って何本かに移し変えるか、でもこんな高級品ばかりの空港でボトルなんて売っていない。だめもとでジップロックにローズウォーターをいれてきちんとジップをとめ、DUTYFREEのバッグに入れなおす。
そしてその係員のいない違うレーンにもう一度並ぶ。
そしらぬふりをしてボディチェックを受ける。
そして流れてきたわたしのバッグ!今回はパスした!
遠くでなんとなくその係員が見ているので、中指を立ててやろうかと思ったが、せっかくスムーズに通過したのにまた大喧嘩するのはかなりうっとおしいので無視。
そのまま搭乗口から何事もなく乗り込んで、無事わたしのローズウォーターは日本まで運ばれてきた。

レギュレーションなら世界各国で統一させるべきだ。
そしてこういうイレギュラーな事案を幅をもたせて判断するために、こうやって人間が最終セキュリティにいるんじゃないのか。
それをしないなら全て機械で判断するのと一緒じゃないか。
せっかく旅で身も心もすっきりしたのに、こんなつまらん頭の固いやつらと喧嘩して気分を害した。

しかし、パスポートコントロールで「おはようございます」と言っても無視しているのは日本だけだな。
いっそのこと民営化したら少しは愛想がよくなるのか。

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2009年3月26日 (木)

では、また!

P3250268 P3250266 P3260280 P3260278昨年宿泊したEuroStarInternational は空港のすぐそばだけど、大きな道から一本入っているので静か。
シーツもきれいだしお湯もたっぷりでる。
ホテルから空港までは5分。タイ航空はターミナル2にあり、チェックインはとてもスムーズ。
スリナガルの軍の基地のような空港で長時間セキュリティチェックなど受けていたので、デリーの空港がとてもきれいで広く近代的に感じる。
シンギングボウルもおとがめなし。
セキュリティを通過したあとDutyFreeでローズウォーターとアーユルヴェーダのマッサージオイルを購入する。念のため、「これ機内に持ち込んでも大丈夫ですよね」と確認するともちろんとのこと・・・これがあとで問題をひきおこすんだけど。

残りの小銭でコーヒーを買う。89ルピーとびっくりするぐらい高価だけど、まあ空港だし、北インドはいわゆるレギュラーコーヒーは余程いいところでないと飲めなくて、ずっとインスタントしかなかったのでちょっと贅沢。目の前で豆をひいて入れてくれるおいしいコーヒーだった。

さようなら、また来ます。
インドはやっぱり面白いなあ、なんだかこの国だけで別の惑星みたい。

タイの空港でまたしてもトランジットだが、7時間も待ち時間があるので、買い物も全く興味がない私はやることがなく、初めてトランジットホテルを利用してみた。
時間で切って使えるこのホテルは空港内にあって、お値段は少し高いけれど、軽食も好きなときに好きなだけ食べられるバフェがついている。インドでちょっと手が出なかった生のフルーツを山盛り食べる。
シャンプーやタオルバスローブや冷蔵庫にお水やおやつまでついている。
ベッドにもぐりこんで日記の整理をする。
空調で管理されたほこりのないこの空気をすっていると、ああ帰ってきちゃったなという感じがする。

タイから日本へはやはり満席。
少し寒い日本に帰ってきた。タイ空港での税関係員との喧嘩はまた番外編で。

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2009年3月25日 (水)

さよなら カシミールの村

Img_4611 P3240236 P3230214 P3230168 Img_4697 P3230195早起きして歩こうと思っていたが昨夜からの雨がけっこう激しくふっているので、ゆっくり朝ご飯をたべてパッキングする。

この静かな村をはなれるのがつらい。
もっとここにいたい。
山に入りたいし、この村で過ごしたい。

でも今回、こうやって望めば縁がつながるように、またここに呼ばれることもあるだろう。
インドってなんだか不思議で、心から望んだらちゃんとそちらのほうに引っ張ってくれる場所なのだ。

昨年もリシュケシュだけで、きっとヒマラヤの麓まではいけないだろうなあと思っていたら、偶然ガンゴトリの近くの村ハーシルまでいけることになったし、今回も日程的にダラムサラまでしかいけないだろうなと思っていたら、導かれるようにカシミールのこの村に来ることができた。
ヒマラヤの神さまが呼んでくれたのかな。次回はもうちょっとゆっくり山に入りたい。

山や村の人にさよならを言って、ジープで2時間半かけて空港のあるスリナガルに向かう。

ここがダルレイクだと湖に連れて行ってもらうが、たくさんのボートハウス(宿泊も出来る)が浮いているほかはなんだか街中だし、大きな公園もあのヒマラヤの原生林に比べたら人工的な香りがして興味なし。やはり村に帰りたい。

旅行代理店でエアチケットをピックアップし、空港に向かう。

予想はしていたが、このスリナガルの空港はセキュリティと軍兵の数がすさまじい。まず車をおりて荷物(一個一個これはなんだと調べられる。チベットのシンギングボウルが仏具とか楽器というイメージがないらしく「このメタルの武器は・・・」となる。英語が話せる人が少ないのでめちゃくちゃ時間がかかる)チェック。

その後空港入り口でまず50人ずつしか入れない。再度荷物チェック。またしてもシンギングボウルが引っかかり、説明。カシミールからの州を出るためのフォームに記入(もう出国のイミグレーションなみである)。その後男女別で手荷物とボディチェックを3回。(ファンデーションまであけさせられる。もちろん気が遠くなるくらい時間がかかる)カメラは電池を抜き、手に持って撮影できないようにして飛行機に乗り込まなければならない。

もうこの時点でぐったり。飛行機が飛び立ったときは少しほっとしたが、上空から眺めたスリナガルの空港はおおきな迷彩色に塗られて、まわりの菜の花畑からひときわ浮いてみえる。余計に目立つと思うけどな。

デリーの暑い空港におり、たくさん着込んでいた服を脱いで、インドは広いなあとつくづく思った。昨年宿泊した空港の近くの小さくて親切な宿にとまる。

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2009年3月24日 (火)

Pahalgam (パハルガム)村 Ⅱ

Img_4633 Img_4638 Img_4644 Img_4651 Img_4655 P3230152 P3240253風が強い。
お天気がかわろうとしている。
午前中村を歩いていると、一軒の家にどうぞと入れていただいた。
台所にはいったい何歳かわからないかっこいいババさまが。もうその場にいるだけで空気が力を持つ人がいるんだな。
孫娘さん(このあたりの人は化粧なんて全くしないけれど、本当に綺麗だ。こんな眼の美しい人をみていると、ミスユニバースのグラマラスな姉ちゃんたちが気持ち悪くみえる)が薪で料理をしているところを見せてくれる。
10人で暮らしているという家のなかはとてもスッキリしている。

子供たちがうわーっと寄ってきて一緒に遊ぶ。
「学校は?」と尋ねると「行ってる子もいるよ(貧しい家では学校に行かず手伝いをしている)」と学校につれていってくれる。春であたたかくなってきたから、屋根の上でおひさまをあびながら授業していた。

パキスタンに近いこの村は80パーセント以上がムスリム。
イスラム原理主義の過激派が数年前爆破テロをおこしたのもこの村だ。
でもここに住むムスリムの人々とヒンドゥの人々はお互いとても仲良く助け合って生きている。ガイドのお父さんはヒンドゥだが、ムスリムのモスクにすたすたと入っていく。
ムスリムは朝早くからコーランとともに祈るので、早朝からお湯をきちんとわかし、まず祈りの場に入る前に(この寒い寒村では)お湯をコップにすくってシャワーのように身体を清める。村のいくつかのモスクでは沸かしたお湯を必要な人には宗教の区別なくくばるのだ。
もちろん私たちも入ってかまわない。
これまで他宗教の受け入れをしているモスクは初めてだったので驚いた。
村にひとつだけのとても古いヒンドゥ寺院では、ムスリムの人々が土塀をなおしたり、きれいに掃き清めたりしていた。
「信じるところは異なるけれど、みんなカシミールに生きるヒマラヤの民だから」という。
カシミールでは、カシミール言語と呼ばれるこの地域独特の言葉と、ウルドゥと呼ばれるこのあたりからパキスタンまでで話される山の民の言葉が主に使われていて、デリー界隈のヒンディはほとんど話されない。
「国境というものがあるけれど、ひとつ向こうの谷の民もみんな同じ顔で同じ言葉を話しているんだよ。みんな助け合っているしね。」とお父さんが言う。

チベットという国はないけれど、その文化圏の広がりはすごい。
そしてこのようにパキスタンや中国、ネパールやブータンそしてインドと目に見えないボーダーがひかれているが、みんなヒマラヤの民なんだ。

国境っていったいなんだと考えさせられる。
山や谷や国境を越えてみんなが同じうたを歌っている。

ヒマラヤの詩だ。

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2009年3月23日 (月)

Pahalgam (パハルガム)村

Img_4664 Img_4598 Img_4601 Img_4615 Img_4665 P3230161 P3230156 P3230180 P3230173 P3230163アルトのなかで足を縮めて寒さで毛布にくるまりながらいくつかの峠をこえる。

ドライバーも眠らないように深夜にひらいているチャイ屋さんで時々停まって休憩。トイレなんて気の利いたものはないので夜の闇にまぎれてオープントイレ。
後ろからがぶっとこられそうで野犬が怖い。

頻繁に軍に車をとめさせられる。銃をむけられたまま何度かパスポートチェックがある。50メートルおきに2人ずつ兵が立っている。
そんなにやばいエリアなのか? 
暗闇で軍兵の目が光っている。帰ってからわかったことだけど、このあたりは山賊やゲリラが民間の車を襲うのでそれを警戒しているらしい。

サスペンションが壊れるんじゃないかというぐらい上下にがたがた揺れながら(シートベルトがあって嬉しいと初めて思った)うつらうつらしつつ高い峠を越えていく。

ジャンムーとカシミール間のテリトリーを分けるトンネルコントロールゲートが朝8時からしか開かないので、その手前でチャイを飲んで待つが、大きな野犬がたくさんほえながら走り回っているので怖くて外に出られない。
一目100人以上の軍兵がうろうろ。カシミールはインドパキスタン間の紛争で今も国境がかなりホットだけど、とにかく民間人より軍が多い。
トンネルを越えてカシミールに入ったところでまたセキュリティチェック。
車をとめていると外からばんばん窓ガラスをたたく人たちが。
窓ガラスになにかを押し付けて売りつけようとしている。どうもよく見るとサフラン。
サフランはこのあたりの産物らしく、日本でもほんの数枚の花びらでものすごく高価なんだけど、これをツーリストに売ろうとしているのだ。
私は全然興味がないので窓越しにいらんと手をふる。

トンネルを越えるとがらりと景色が変わり、軍兵の数は相変わらずだけど、見渡す限り美しい菜の花畑が続く。静かな田舎地帯に入ったようだ。
人々の洋服がトンネル前と全然違う。
カシミアで出来たながいコートのようなワンピース。
この地方の人々は例外なくこの服(Pharn ファルン)をユニフォームのように来ている。

10時ころようやくパハルガム村に入るが、村に入ったとたんバタバタとファルンを着た人たちがかけつけてきて車をゆすったりバンバンたたいたりしながら「ホテル、ホテル!ガイド、トレッキング!フォト!」 などと叫ぶ。
この時期はまだ雪解けしたところで観光客やヤトラ(ヒンドゥの巡礼)も来ないし、雪深い寒村だから仕事が全くないらしいのだ。
なんとか人々の群れを抜けて私たちの泊まるHimalayan Houseへ。
村のメインどおりからもかなりはずれた山の麓、川のほとりに山小屋があった。

13時間の移動から解き放たれてやっと新鮮な山の空気をすい、身体を伸ばした。
気温はかなり低いけれどお日さまがあるのでそれほど寒くない。
庭であたたかいカシミールティと朝ごはんをいただく。
ガイドのお父さんが「ゆっくり休む?薪で沸かしてお湯もすぐに出るようにしたあるよ。散歩に出るなら案内するし、自分の家だと思って自由にしたらいいから」と。
荷物をおろして、お天気もいいのでそのまま村を案内してもらうことにした。

お父さんはこの村のローカルの主なのでみんなが感じよく挨拶してくれる。
女の人も子供も興味深げによってくる。牛も馬もやぎも鶏も羊もなにもかも放し飼い。
村にはヒマラヤの溶け出しの豊かな水路がたくさんあり、みんな水をのんだり洗濯したり。
いい水のそばで暮らすというのはとても大きなテーマだ。
このあたりの人は顔つきがデリーあたりの人々とは全くことなり、中近東よりというか、ヨーロッパのにおいもする。

植林はいっさいない大きなヒマラヤ杉の森のなかをあるく。
この村で標高2500メートルくらいである。前方に見える雪山のむこうにシヴァ神のアイスリンガで有名な寺があるので、夏のヤトラシーズンには巡礼の列が出来るらしい。
今は雪と氷に閉ざされているのでまだ誰もいないけれど。
静かなシーズンに来てよかった。

午前中深い森歩き。お父さんはとてもきれいなわかりやすい英語でしゃべってくれるので色々聞きたかったことを質問しながら歩く。
「このあたりで危ない生き物って熊?」
「もちろん熊もだけど、タイガーがたくさんいるからね。飛び掛って人をすぐに襲うわけではないけれど、馬やポニーに荷物を積んでトレッキングキャンプをしているときは、一晩中火を絶やさないようにしないと馬たちは必ずやられるよ。タイガーやきつねやコンドルがすぐに食べてしまって4-5日できれいな骨になる。こんな風に」
ふとあたりをみると、そういえば結構大きな骨がごろごろ。
虎きちだけど、さすがになあ。

午前中で3時間、午後からまた3時間くらい歩いて足が疲れきったころ日が暮れてきたので山小屋に帰る。
ストーブの前でお茶を飲んでぼーっとしていると美味しいカレーやトラウトのフライ、スープなどをガイドの人たちが次々に作ってくれた。
薪をたいてお湯をわかし、あついシャワーを浴びて(外は氷点下である)、湯たんぽをもらって眠る。この湯たんぽのおかげで本当にぐっすり眠れた。P3230220 P3230219

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2009年3月22日 (日)

ダラムサラからカシミールへ

Img_4566 Img_4567 Img_4569 P3220123Img_4592 早朝6時前にナムギャル寺院に向かう。
お堂でしばらく座禅させていただく。
遠くから僧侶の声明が聞こえてくる。
とても静かだ。

ダラムサラの近くのBhagsunathというところに滝があるらしいので、散歩がてら歩いていく。
滝まで約一時間。
まだ沢は雪解けしておらず、滝の水もちょろちょろと言う感じ。
巨岩に触れながら沢筋にそって川をおりる。
川では僧侶たちが洗濯をして僧衣を岩にほしながらゆっくり過ごしていた。

ホテルでグルザードにトレッキングルートの相談をしていると、ヒマラヤに興味があるならとてもいいところがあるんだけどなと言う。
「ただ、ちょっと遠いんだけどね、でも天国のようなところ。」
「どこなのそれ、歩いていけるの?」
「歩いては無理。ここからは車で13時間くらいかかる。カシミールの小さな村、Pahalgam(パハルガム)に僕の山小屋がある。
標高は2500メートルくらい、そこはヒマラヤトレッキングのベースとなる村なんだ。もし興味があるなら行きのジープやガイド、帰りのデリーまでの飛行機も手配できるよ」と。

車や飛行機、宿代とガイド代金全てこみで500ドルと言われたが、ちょっと料金的に無理だ。

でもカシミールはこのところのインドパキスタン間の政情不安でかなりホットなエリアだし、日本からでは情報がなくて(行くなと書いてある)なかなかチャンスがないと入れない。確かに列車のなかで地図をながめていて、このあたりにいけるといいなあと話していたところだったからあまりの偶然にどきっとしたのだが。

しばらくねばって値段交渉し、ジープを小さな車に変えて(アルトだった・・・)一人300ドルまで下がった。デリーまでの飛行機だけでも100ドルだから、これ以上は全く自分の利益がなくなるし下げられないという。

ダラムサラより北に行くとは思っていなくて、それほど温かい服装を持ってきていないがなんとかなるだろう。それよりこういうきっかけがないとカシミールは今後行く機会がないかもしれないと決断して、深夜から旅立つことになった。ダラムサラで6日間くらい過ごす予定でいたが、大急ぎでパッキング。

シンギングボウルを売っているお店によって(何度もよって色々触らせてもらっていた)、購入するもの選び。ダラムサラで売っているからといって、質の高いシンギングボウルばかりでは決してないのだ。仏具としてのシンギングボウルはたくさんのメタル(鉱物)をミックスしてその大地の力を練りこんであるもの。手にとって鳴らしてみるとその違いがわかる。安価なものは5種類以下のメタル、持ってみた重みも音色も異なるのだ。

「ザナスカルの谷に住むチベタンの民が、昔からのやり方にしたがってきちんと作っているボウルをひとつづつ自分で鳴らして仕入れてくるんだ」と店主が言う。そして「どういう目的で欲しいんだ?安いお土産を記念にほしいのか、それとも質の高いものを選びにきたのか?それによって薦めるボウルは全然ちがうんだ」と。

自分のために納得できるこれはというボウルがあれば欲しいというと、いくつか新たにボウルを出してきてくれて「これは今回の旅で買ってきた自分のお気に入りだ」と。

床に座り込んでじっくり演奏させてもらう。余韻のながいなんて素晴らしい音。そしてシンギングボウルとの相性というのも確実にある。「きみがボウルを選ぶのと同じように、ボウルもきみを選ぶんだよ」と言われた。結局18種類のメタルの入ったボウルで自分の身体や心にあうものをいくつか選ぶ。

いい買い物だった。(2時間もたっていた)  その後どうしても欲しくて気になっていたタンカやさんへ。カーラチャクラのタンカのみ見せてもらう。ここは村では一番たくさんのタンカを扱っていて、カーラチャクラだけでも100枚を越える。もちろんすべて手描きだが、ダラムサラのチベット人のタンカ絵師から買い取って彼らに売上の何パーセントかが入るようにしているとのこと。これも質はさまざま。やはりマスター(先生や高名なラマ)の描いたタンカはものすごくディテイルがこっていて美しい。

これも眼が釘付けになったラマの作品は高価だったが、とてもおいて帰れないくらい気に入ったので思い切って購入。それと何枚か生徒さんの作品もゆっくり選ぶ。

あっという間に時間がたって出発間際になってしまった。21時半にアルトで(13時間)旅に出る。

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2009年3月21日 (土)

マクロードガンジ

Img_4540 Img_4527 P3220129 Img_4523 Img_4554 Img_4556チベット医学研究所のメン・ツィ・カン(TIBETAN MEDICAL ASTROGICAL INSTITUTE)を目指す。

チベット医学は独特の占星術とも深く関係していて、一人ひとりの生まれ時も健康に大きく関係していると考えられている。
この医学研究所では古来のやり方で診てもらえるそうなので、山道を歩いてメン・ツィ・カンに向かった。
ほとんどロウワーダラムサラまで40分くらいかけて下りたところだ。

ASTRO-DEPARTMENTに行って話しを聞くと、なんと3ヶ月待ちらしい。びっくりとともにがっかり。

「もしそれでも占星術を受けたいなら」と受付の先生が。
ここに生年月日など占いに必要な内容を全て書いてもらって、占星術の順番が来たらあなたにEメールを送ってあげます。
そのときにまだ気持ちが変わらず、占星術を望んでいたらその旨メールで返事をし、銀行経由で送金してくれたらその時点で占星術を行います。
結果は聞きにくる必要はありません。
手紙かメールで御伝えしますと。

とりあえずアドレスを書いてウェイティングリストに名前を書かせてもらった。

受付の先生に「どなたかこのあたりにチベット医学で体調のディスハーモニーなどを診てくださるお医者さんはいらっしゃいませんか?」と尋ねると、「ええ、ええいい女医さんがいますよ」とのこと。
この建物を出たところにTIBETAN CLINICと書いてあるセクションがあるからそこに行って、ドクターへの面会を申し込みなさい、でも17時までだから急いでねと。

夕方だからか待ち時間も少なく、すぐにドクターに診てもらうことになった。
「さてさて、どうしましたか?」と優しそうな女医さんがゆっくりときいてくれる。
「今どこが悪いというわけではないのですが、冬に身体が冷えやすく風邪をひきやすいみたいなんです」というと、手首を出してと言われる。
左手首をなんどか圧をかえながら時間をかけて脈診、つづいて右手首、もう一度左手首の脈診ののちに舌とまぶたの裏側を診てもらって終了。

「血の圧が健康な人より弱いね。ルン(風)をまとっているから、あなたは背中から風が入ってきやすい。それがあなたの身体を冷やしているね。
夏も冬もあたたかいものを飲みなさい。冷たい飲み物と酸っぱい食べ物、甘いものの採り過ぎはだめ。それからあなたはポテトはだめ。あと、手足のマッサージをもう少し時間をかけてやりなさい。
2ヶ月ぶんの薬を出すから、朝昼夜にきちんとすりばちで細かくして白湯で飲みなさい。
マッサージオイルも出しておくから薬局でもらって。」

ポテト・・・去年リシュケシュのアーユルヴェーダ医に診てもらったときも、「マリはノーポテト。絶対にだめ」と言われたが・・・
そうなんですか、脈でそんなことまでわかるんですか。
納得しながら薬局で丸薬とオイルをいただく。

研究所のミュージアムがとなりにあるので5ルピー払って入れてもらった。
チベット医学で使われているたくさんの高山の薬草や鉱物が一つ一つ見本と効能を書いて展示されていた。
インド古来のアーユルヴェーダがベースだが、使われるハーブが違う。
ヒマラヤの高山に生える植物はとても生命力が強い。
そしてトリカブトや鉱物など、分量を間違えると身体にとって有害なものを適切な分量を処方するのだ。

このメン・ツィ・カンには世界中からチベット医学を学びにきている人々が生活している。
まずはチベット語の習得、そしてチベット密教を学びその後に医学習得が始まる。
最低7年くらいかかるねと先生が言う。
それから臨床がやっと始まるから、時間はとってもかかるけどねと。
納得しました、素晴らしいです。
こういうお医者さんが存在してくれていることに感謝します。

以前関西でも有名な大きな総合病院に膝をみてもらいにいったことがあった。
クライミングの故障でいつもずっと不調和を感じているので、日常生活にはそれほど支障はないけれど、角度によって激痛があるのですと説明した。
(診てもらうまでに2時間待った)
レントゲンやMRIを撮り、「うーん、はっきりとはよくわからないなあ。痛み止め注射しようか。」というので、「痛み止めはいりません。今わたしの膝がどういう状況なのか、どのような努力をしたら緩和されていくのか教えてください」と尋ねた。
すると、「そんなことは専門家にきいてよ。フィットネスとかに行ったらトレーナーがいるでしょ。僕になにをして欲しいの?痛み止めくらいしかできないけど」と。
こらあかんわと思った。
というか専門科された西洋医学の限界をみたなという気がした。
痛みを押さえつける薬なら与えられるけど、原因はわからないんだ。
これが関西でも権威と言われている人の言葉なんだと、これまた逆の意味で納得したのだった。

病院の入り口に日本人の先生のお名前が彫ってある。
この病院を寄贈されたようだ。
こんなチベットのすばらしい文化がきちんと伝承されるこういう研究所の存在意義はとても大きい。
ダライラマ法王が着の身着のままで亡命されてから50年。
中国側の虐殺や暴力などをのりこえて、毎年少しずつ中国のチベット自治区から命をかけて民が亡命してくる。
今はチベットという国がないけれど、その文化圏の広がりはとても大きい。
どうかこの文化が伝承されていきますように。Nec_0916
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2009年3月20日 (金)

パタンコットからダラムサラへ

Img_4500_2 P3200063_2 P3200076_3 P3200075 P3210098 Img_4525 P3200091 P3200096 Img_4530PATANKOTに朝7時半に到着。
ダラムサラのホテルにジープでピックアップを頼んであったが、8時半になっても来ない。
携帯からホテルに電話して、「迎えが来ていないんだけど」と言うと、どうも担当者が旅行中でわからないらしく(そんなことあるのか)、「そこからなら1500ルピーでここまで来れるから、タクシーでおいで」と言う。

いや、手段に困っているんじゃなくて頼んだから待ってるんだよ、もし車が遅れているだけだったらドライバーに悪いし、(ここから2時間かかるし)あとでお代金を2重に請求されても困るからと言うと、「うんうん、ノープロブレム、とにかくタクシーで来てね」と陽気な返事。

まあとにかく新しくタクシーをつかまえてダラムサラまで行ってもらうことにした。
途中、「朝ごはんまだなんじゃない?」ドライバーがお茶も飲める庭つきのカフェによってくれた。

2時間半ほどでダラムサラのLower Dharamsala に到着。Upper Dharamsala のマクロードガンジまではあと30分。
細い急坂をきゅるきゅるとタイヤを鳴らしながら登る。

タルチョ(ルンタ)がたなびく、山肌に張り付いたような小さな村についた。
予約しておいたANNEX HOTEL に到着。
ものすごいラテン系の明るいお兄ちゃんが「いやーいらっしゃい!待ってたよ!ちょっとこの景色見てみて!」といきなり屋上まで階段を上らされる。
ここは標高1500メートルくらい。
谷からロウワーダラムサラの町も全て見下ろせる。
後ろをみると雪をかぶったヒマラヤの山が。確かにいい景色だ。

出されたカシミールティ(サフランやクミン、グリーンティとカルダモンが入っている)を飲みながら、「ところでさっき電話にでたのはあなた(グルザードというらしい)? ハッサンさん(グルザードのお兄さん)からこんなメールもらってたんだけど、本当に勝手にタクシーやとってよかったんだよね?」と予約レターを見せると、一瞬あれっ?という顔をするが、「ノープロブレムだよー、だって真理はもうここに着いているしみんなハッピーだから」と。
ドライバーがアンハッピーじゃなかったらいいがなと言うと、「そんなのたぶん大丈夫!」だって。
ほんまか。

まあとにかく部屋に通してもらう。
チベット手作りの刺繍で飾られた部屋はさっぱりと綺麗で、ベランダからは谷が見下ろせる。
マクロードガンジを散策して、小さなYAK Restaurant に入り、トゥクパという汁そばと焼きそばを食べる。
スパイスでちょっと胃が重くなりかけていたから、このチベット食はとてもありがたい。

山の天気なので夕方には風が吹き、大粒の雨が降り始める。
シャワー(停電で途中から水・・・寒い)を浴び、かなり寒いので毛布にくるまって眠った。

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2009年3月19日 (木)

デリーから列車で

Img_4439 Img_4472 Img_4475 Img_4486 Img_4488 Img_4489 Img_4490 P3200051朝食後デリーのマーケットを歩き回るが、排気ガスと土ぼこりと人の多さに眼がチカチカする。
薬局でネティポットを売っているか何軒か尋ねてみたが、絵まで描いてもそんなもん見たこともないという感じ。
しまった、売っていると思って持ってこなかったが、去年売っていたのはヨガの人がたくさん集まるリシュケシュだったからなのか。
ホテルで鼻をかむと真っ黒。
このデリーの大気汚染だけはなんともならないなあ。

車やリキシャの鳴り止まないクラクションで頭もぼーっと。

夕方寝台列車に乗るためにオールドデリー駅へ向かう。
ニューデリー駅もそうとう大きかったけど、ここも広い。
自分の列車のプラットフォームを電光掲示板でチェックする。
私が乗るのは4033JAMUU MAIL  EXPRESS。
今回は10時間くらいの旅なので、鍵のかかる個室1Aクラスを初めて予約してみた。
満車でみちみちにみんなが立って乗っている2等とはお値段が何倍も違って、1500ルピー(3000円くらい)するけれど、まあ他人や盗難を気にせずぐっすり眠れるので楽だ。

列車の自分の部屋をさがすため、プラットフォームで貼りだしてあるリザベーションシートで自分の名前と座席を確認して乗り込む。
ジャラジャラガチャガチャとしぶい鍵売りのおっちゃんが「鍵いらんか」と言いにきたので、古い鍵をコレクションしている友人のために一個南京錠を購入した。

21時半の出発なので二段ベッドの座席はもうベッドメイクされていて、パリッとした新しいシーツが敷いてある。
晩御飯がまだでお腹をへらしていると、列車が動いて間もなく「スープ!スープ!」とスープ売りさんが。大きな銀のポットからどぼどぼと注いでくれる。
これがスパーシーでものすごく美味しいトマトスープ(クルトン入り)だった。
食欲に火がつきかけたところで、「チャイー! チャイー!」とチャイ屋さんが。
「はいはいはい!飲みます!」と喜んでもらう。一杯5ルピー。
そして駅弁屋さん登場・・・カッテージチーズ入りのカレー(かなりホット)とフライドライスとチャパティで60ルピー。
美味しかったけど舌がひりひりするなあと思っていたら、またチャイ屋さんが。
呼び止めてチャイを買う。
いつも紅茶やコーヒーは砂糖をいれないので、インドの甘く頭のしびれそうなチャイが最初は苦手だったんだけど、こんなスパイシーフードには不思議と合うんだな。

「チャイ好きなの?」とチャイ屋さんが嬉しそうに言う。
いやー本当ポットで欲しいくらい。

夜何度か停車するけれど、心地よい揺れでぐうぐうと眠る。
バスと違って、列車ならいつでも行きたいときにトイレに行けるし楽だ。
朝方眼が覚めて夜が明けていくのを車窓から眺めていると、遠くからチャイー!の声が。
大きく手をふって「ハーイ!買います買います!」と叫ぶ。

その土地にいったらその土地のものが飲みたくなるんだな。

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2008年6月13日 (金)

インド料理

Nec_0067 九条の商店街にある気になるインド料理やさんにレッスンのあと原田さんと探検に行く。平日の夜だからか店内は私たちだけ。

愛嬌のあるお父さんに相談しながらターリーをどのカレーにするか決める。ターリーはインドの定食のようなもので、2種類くらいのカレーに野菜、ナン、飲み物がつく。私はほうれんそうとチーズのカレーとチキンカレーを選んだ。

ナンをペタンペタンとたたきつける音が響き渡り、しばらくしてあつあつのナンをのせたターリーがやってきた。二人でインドのように右手だけでナンをちぎって食べる練習をした。焼きたてのナンはびっくりするほどおいしかった。

お父さんはデリー出身でお母さんはネパーリーだ。「近くの方ですか?」と聞かれたので「近くでヨガをやっているので」というとなんだか嬉しそうにヒンドゥの神様のいろいろなストーリーを教えてくれた。

その昔雨がふらず人々が旱魃で涸れ果てて、神に雨をふらせてくださいと祈る。「それではヒマラヤの娘ガンガーの女神を空から大地におろすが、そのかわりおろすときの衝撃で大地のほとんどは滅びるだろう。それでもよいか?」と絶対神がいう。シヴァ神が「それでは私が頭でガンガーを受け止めよう。そうすれば大地は滅びない」と自らの頭にヒマラヤの娘を受け止め、そこから聖なるガンガーが流れ始めたという。

「だから絵のなかのシヴァ神の頭にはヒマラヤから聖なる水がそそいでいるんだよ」って。

お店の名前は「シッダルタ」。シッダルタはブッダの名前なので、「えらいビッグネームやね」というと「うんうん」とこれまた嬉しそうだった。あなたはブッディストなの?と尋ねると、もちろんヒンドゥだけど、ブッダだってヒンドゥだったんだよって。確かにそうです。でも回教圏では絶対レストランに神の名前なんてつけられないから、まあそのへんがヒンドゥのおおらかなところなのだろう。

夫婦二人でがんばっているシッダルタ、夜は11時半まで営業している。また近々行きたいお店になった。

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2008年5月21日 (水)

伝わっていくもの

118 059 119 インドでたくさんの神々の像を目にしたが、日本にもそっくりの神々が祀らるれていることがわかった。店の軒先には日本で言うところの七福神さん。芸事の神様弁天様(サラスヴァティー)などなど。インド発の神様はシルクロードを渡り、もっとも東の国日本にたどり着かれたわけだ。

絶対神をまつる宗教違って、ヒンドゥ教は多神教。もちろんすべての創造主ブラフマーへの帰依は前提としてあるものの、もんなそれぞれ自分が好きな(帰依する)神様をいだいている。なんだかそれぞれがファンクラブみたいでとてもいい。私はシバ神、私はガネーシャ様、私はラクシュミー様(吉祥天)、私はヴィシュヌ様みたいに。自分の敬愛する神様のブロマイドを集めたり、小さな置物を集めたり。毎朝お祈りを欠かさない。

カラフルで感情豊かなヒンドゥの神々。ヒンドゥの神話を読んでいると日本の神様とあまりにも違う人間っぽい感情が豊かなことに驚く。神々と阿修羅の血みどろの戦いや、天女が神々を誘惑して神通力をなくさせたり、またその神通力を回復するためにヒマラヤで苦行を何百年も続けて(なんだかこれがヨーガの苦行による解脱の最初のようだ)超常能力を身に着けたり。それでまた敵の神を滅ぼしにいったりと、まさに混沌、カルマである。

ヒンドゥ世界にそだちそこに身をおいていたシッダルタ王子(お釈迦様)が悟りを得てブッダ(悟りをえた人)となり、仏教をといてシルクロードを経て日本にも伝わった。日本の観音様や菩薩様のあの美しさはどうだろう。余分なものの一切ない、でも一切を含むようなおだやかさと静謐さ。日本の静謐なお寺や神社を見慣れていた私にはインドの寺はもう度肝をぬかれる強烈な濃い濃い力の渦巻く場所だった。人々が魅了され祈り、いろんなものが渦巻くのが見えた。

インドに行ってあらためて自分はブッディストなんだなとおもった。

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2008年3月22日 (土)

じゃあまた

391 空港職員もホーリーでカラフルになっている。X-RAY検査のお兄さんたちが「写真とって!とって!」と。先に荷物検査やってくれよ思いながらも、日本職員にはない陽気さが楽しい。

出国のとき「ハリオーム」と挨拶をしたら、とても嬉しそうに職員のおじさんがまたインドにおいでよと言った。本当に日本のパスポートコントロールほど無愛想なところは世界中でも珍しいな。あんなふうに一日中無愛想にしていることのほうが疲れてしまいそうだ。

今回旅をしたのはほんの限られたエリアだった。でもこの初めての国で気づいたことはいっぱいある。合理的になにもかも環境よく整えてくれる先進国と違って、自力でなんでも判断する必要があるのだ。当たりまえのことなんだけど、忘れかけていること。売られている水のふたが開いていないか確認したり、シャワーがきちんと出るか確認してからお部屋を決めたりおつりをきちんと数えたりね。まあ基本的なことなんだけど。

歴史と自然と色と信仰心がいっぱいでカラフルなオンかオフしかない国。いいかげんで適当だけど陽気で親切、222 グッと胸に響く面白い国である。

日本のクリーンな街のなかでここの雑踏やたくさんの色を懐かしく思い出すんだろうな。110 310 059 227

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2008年3月21日 (金)

再び

373 今日と明日はいよいよホーリーである。アシュラムでチェックアウトしてさようならをいうと、スタッフが「ハッピーホーリー」と色粉を顔に塗りつけて祝ってくれる。色粉をつけたまま再びハリドワル経由でニューデリーへ。

町のあちこちではホーリーを祝うための松明のような薪のようなものが高く積み上げられ、夜には火がつけられるそう。でも観光客の人は外にでちゃだめだよ、無礼講だからねとホテルの人に注意される。案の定ホテルを一歩出たところで、水風船をバシャっとぶつけられる。子供たちがきゃあきゃあと笑って逃げる。私も水鉄砲買っておけばよかった。295 ニューデリーの大気汚染はすごい。土ぼこりや排気ガスの黄色い雲の膜のなかに入っていくようだ。地球温暖化の前にこんなことではインドの人たちの肺がおかしくなってしまうんじゃないのかな。でもこの国からオートリキシャなくしたら交通がマヒしてしまうんだろうな。

長いようで短かった旅も明日で終わる。

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2008年3月20日 (木)

ごま油

311 今日も早起きして朝のクラスに。体と心をすっきりさせてからすきっ腹をかかえてアーユルヴェーダのドクターのところへ。体が冷えやすく疲れやすい体質の私への処方はごま油だった。秋の初めから春の終わりまで、毎朝おきてすぐにお白湯に大匙2杯のごま油を入れて飲むようにと。へーそんなので冷え性とかも直るんかなと思いながらも御礼を言って診療所を出る。

町でであった日本人の女の子とチャイを飲む。彼女はこれでリシュケシュ3週目らしい。「3月の一週目は大変でした」という。国際ヨガウィークというリシュケシュあげてのイベントがあり、泊まるところもないほどの混雑ぶりだったそう。そしてそのヨガウィークでは一週間の参加費用が500ドル、一日なら45ドルで米粒ほどのグルを見ながらなんとなくポーズをするそうである。でも裕福な国からたくさんのヨガ講師が参加していたとのこと。

どこもかしこも商業主義のにおいがする。ここリシュケシュではヨガが金になるのだ。リトリートというヨガ合宿を現地の人ではとうてい払えない高い金額でセッティングし、ディプロマを発行して聖なる名前を授けるのだ。裕福な国から修行にきた人達はいただいたお名前を後生大事にして自国へ帰ってゆく。

4000年も前に確立されたヴェーダンタの思想はすばらしいと思う。こんな考え方を何千年も前に確立していた賢人たちに会えたらなあと思う。余分なものはとりはらって一人で静かに歩いていくしかないのかな。

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2008年3月19日 (水)

早起きは

279 5時起床。6時からあるアシュラムのクラスを受けるために暗い中ゆっくり歩いていく。この夜明け前の東雲時はなんだか空間に静かな力がたくさんある気がする。遠くからきこえる誰かのマントラの声と牛のあるく音、少し朝の霧をふくんだ空気。ヨガホールにはもう30人くらいの人が座って、マントラを唱えている。静かに始まる呼吸法の指導とアサナ、洗練された内容だ。体が固い人もやわらかい人も関係なし。自分のできることを心地よくえんえんと動く。丁寧な指導と気のとおりのよいヨガホールですばらしい朝を満喫した。

朝食をかるく食べてから、アーユルヴェーダの体質診断を脈診と舌診でしてくれるという先生のところへ行く。並んだ挙句、朝ごはんを食べてしまったらきちんと判断できないからまた明日来なさいと。そうなんですね・・・また明日。

294 307 午後からリシュケシュのダウンタウンへ。週末にホーリーという春を迎える祭りを控えているので、あちこちで色粉をたくさん売っている。この色粉のはいった水を風船球や水鉄砲にいれてかけあいっこし、春の到来を祝うのだ。いろいろな店をブラブラしているとヒジュラの姉さんたちが踊っているのを発見!突撃取材して写真も撮らせてもらった。ヒジュラは日本でいうところのおかまの姉さんたちだが、インドでは第三の性といわれており、豊穣をさずける巫女さんの役目を果たしている。子授けや商売繁盛を祈祷するので、姉さんたちが店の前で踊りだしたら商店主はお布施を渡さなければならない。でものろわれると男性はち○こがたたなくなるらしく、ビクビクなんだと商店主のおっちゃんが教えてくれた。

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2008年3月18日 (火)

余分なもの

267 アシュラムの近くの布やさんの前で来る日も来る日も暑い中、足踏みミシンを踏んで洋服を縫っているおっちゃんの店でパンツを作ってもらうことにした。布と形を選び、おっちゃんがジャキジャキ布を裁断して縫っていくのを見ていた。

いろいろなヨガレッスンを売りにしているスタジオに行ってみるが、おおはずれ。これまた中国雑技団並みにフレキシブルなインド人のお姉ちゃんが見事なポーズ連続。呼吸法を教えてというと適当にお茶をにごし、明日また予約したら教えてやるというので途中で帰る。

町で仲良くなった日本人の女の子のお勧めのアシュラムのクラスにドロップインするためゆるゆると川沿いを30分歩く。途中のCD屋さんでシタールのCDをいくら?と尋ねると、このまま買うなら700ルピー(2000円くらいか)、コピーでいいなら50ルピーだと。著作権とかそういうの関係ないんよね。どの店でもコピー売ってるもんね。結局何枚かコピーを頼んでヨガレッスンへ。

アシュラムの女性の先生はとてもすっきりした余分なものの一切ない尼僧の先生。呼吸法に始まりベーシックで穏やかな、静謐な指導。アサナと瞑想。停電で汗がどんどん流れたけれど、川からの涼しい風の通るすばらしいところだった。

日本もインドも本物はほんとうにひとにぎりなんだな。

玄米と蒸し野菜のおいしいプレートを食べてお腹が元気になった。心も元気になった。

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2008年3月17日 (月)

トイレ事件

353 朝2時半ごろ。山での香辛料たっぷりカレー生活ですこし調子を崩してトイレに滞在し、さて出ようとすると鍵が開かない。クイのような金属の棒を差し込むタイプだが、まるで動かない。30分ほど悪戦苦闘するがビクともしない。やれやれ、でもトイレに入れないより出れないほうがましかなあなどと考えつつガタガタやっていると同室の方がおきてきてくれて「どうしたの?」と。

事情を説明するが外からはどうしようもない。自力でなんとかしなければ、絶対あかないのだ。お願いしてザックからスイスアーミーナイフを出してもらい、扉の上部鉄のメッシュの部分をガリガリ切って渡してもらう。ペンキで塗りつけてあるななめに入ったどうしようもないネジを地道にひとつずつ緩める。扉が開いたら4時半だったよ・・・本当に。

でも集中していたからかなんだかお腹の痛さを忘れていた。そのまま起きて自分のアシュラムの朝のヨガクラスへ参加する。体のしなやかな男性の先生だが、呼吸法なし、ただのポーズの連続のつまらないクラスだった。朝は自分で部屋の前のベランダで川を眺めながら瞑想することにする。269 けっこうサルさんが遊びに来るんだけど。

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2008年3月16日 (日)

またここへ

朝起きたら水溜りに氷が張っている。パリパリと踏む感触が懐かしい。今日はもうリシュケシュに戻らなければならない。今度来るときはずっとこの村にいてもいいなあとしみじみ思いながらパッキングして、村の人に挨拶をしてお別れする。ありがとう、また来ます。

車のフロントガラスが凍っていて見えない。寒地の運転になれていないので運転手がすぐにウインドウォッシャー液をかけてしまう。車をとめてクレジットカードでガリガリとフロントガラスを削る。怖いエリアを朝早々に祈りながら無事に通過して、山道をひた走る。

ヒマラヤが見えなくなるときは少し胸が詰まった。またここに帰ってきたい。数時間のうちに季節は真冬から気温30度をこす真夏へと早変わりする。真夏のリシュケシュに戻り、ガンガー沿いのアシュラムに入る。326 200

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2008年3月15日 (土)

山の奥の村

207 雪解け水が屋根からポタポタとおち、よく冷え込んでいる。外に出ると焚き火をしている村の人に「チャイ?チャイ?」といわれたのでうんうんとうなずくと家の中からチャイを持ってきてくれる。焚き火に一緒にあたってチャイを飲む日本人を興味深げに眺めているが、言葉が通じなくて残念だ。でもみんなが親切にしようとしてくれているのはわかる。

村で唯一英語のしゃべれる山岳ガイドに聞いて古いヒンドゥ寺院からハーシルまで山道を歩いてみることにする。荘厳な山々を眺めながらゆっくりと2時間くらいガンガーに沿ってハイクアップした。231 196 こんな貧しい山地209 にへばりつくようにして生きる人たち。でもニューデリーの裕福なデブのおっさんたちよりなんて豊かなエネルギーをもらっているんだろう。空はブルーを通り越して濃紺の宇宙の色。胸をやられそうな蒼さである。

氷河からの溶け出しのつめたい水で顔を洗った。

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2008年3月14日 (金)

ヒマラヤの懐へ

山道を走り、採石場のなか(道なのか?)を抜けてあたりはすっかり真っ暗である。標高は2000メートルを少し超えたあたり、道路わきにはまだまだとけ残った雪がたっぷり。夜目にも神々しい6000メートル峰の懐に入ってゆく。真っ暗な空に青白く静かにそびえる山に胸がしんとなる。168 ハーシルにやっと到着したと思ったら、ここは軍事国境線に近くアーミーベースがあるので、外国人は17時以降は滞在禁止だという。でもこんなすごい山の中でキャンプ装備なしで真冬に外で寝るなんて無理だ。英語が通じないから運転手になんとか屋根を貸してくれる所を探してとお願いする。ハーシルからガンゴトリに向けて少し走ったところにある小さな村の山小屋に泊めてもらうことになった。よかった。村で1件だけの何でもやさんのおじさんがカレーを作っていて、食べさせてもらう。そういえば朝から12時間くらい食べていなかった。カレーとチャイが体中に染み渡った。外はマイナス10度くらいか。ガンゴトリまでいけると思っていなくて夏用のペラペラの寝袋しかもってこなかった。いやー冬山の装備がいるよなあと思いながらも疲れているからバッタリグウグウ眠ってしまった。

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出来るだけ上流へ

156 ガンガーの最上流の村ガンゴトリへの道はまだ雪のためにクローズだったが、旅行代理店に尋ねると直前の村ハーシルまではいけるという。行きかえりに10時間ずつかかるから、最低3日間かかる。でもせっかくここまできたんだからぜひガンガーの上流にヒマラヤの懐にいってみたいので、3日間車と運転手をたのむ。

パッキングをして出発。山の中のチャイ屋さんで朝ごはんを食べ、地震で山ごと地すべりのあったウッタルカシを抜けて、日本では四駆でも走らないようながたごとの山道をがけ下のガンガーを眺めながら軽のアルトで登ってゆく。アルトくんすごいよ!軽自動車4駆でもないのにこんなにタフな走りできるなんて本当に優秀。163

あと2時間くらいでハーシルというときに巨大落石で道がふさがれている。アーミーやつるはしをもった工事夫さんたちがこつこつ巨大な岩をたたいている模様だが誰も交通整理しないし案内しないので、上流からも下流からもガンガン車がやってきて大渋滞だ。結局ダイナマイトで発破して2時間後通れるようになった。だが実はここからがこの街道のもっとも怖いエリアの始まりだった。いつ落石してもおかしくないまだパラパラと小石の降ってくるがけ崩れエリアを祈りながらガタゴト走る。車一台半ほどの細さの道をクラッションをけたたましく鳴らしながら追い抜いて(追い抜かれて)登る。祈るしかない。怖いので目をとじていた。

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2008年3月13日 (木)

巻紙

116_2 ホテルの掃除のおっちゃんが「洗濯物あったら一枚5ルピーで洗うよ」と。それじゃと何枚かお願いしてみる。外出のときふと見るとやっぱりガンガーの水でザブザブバシバシと洗っていた。聖なる河の水で洗っていただいて光栄です。ボタンはとれてましたが。夕方お日様のにおいの洗濯物が返ってきた。

お腹の調子が少しよくなってきたので、ドーサというインドの巻紙みたいな食べ物を食べてみる。小麦粉でできた巻紙のなかに野菜がたっぷりとカッテージチースが入っており、スパイス入りのソースをかけて食べる。やさしくておいしい味だった。野菜はどれも昔の日本の野菜のようにきちんとすっぱかったり甘かったり、本来の味がする。生野菜に手をだせないのがちょっとつらいけど。

町や橋でサドゥとすれ違うたびに私も手を合わせてすれ違うが、いつもなにかムニャムニャ言っているので「何と言っているの?」とたずねた。「ハリオーム」だという。インドのヴィシュヌ神の化身クリシュナをたたえて「ハリ(クリシュナそして真言の)オーム」だそうだ。私もここにいさせていただいている間、ヒンドゥの神様に感謝して「ハリオーム」を唱えることにした。107

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2008年3月11日 (火)

洗礼

066 サトウキビを搾った汁にライムを入れるジュース。気温30度をこす乾いた体にはたまらないが、やはりお腹いたの洗礼をうける。日本の薬はなにをのんでも効かない。どこの国でもその土地の土壌菌ととりあえず仲良くなるまでは時間がかかるが我慢。体の中にインドと仲良くなる抗体が出来るのをまつ。

お腹が痛いので川原でぼんやりしていると、小学生らしき二人がよってきて好奇心いっぱいで話しかける。「学校はさぼりか?」と聞くと「今日は試験だから早帰りで暇なんだ」とのこと。「その時計いいね、ちょうだい(とりあえず言うんだな)」とか「何か日本のものがほしい」という。名前を聞いて、アンケイドくんという名前なのでノートに安敬土と書いて日本語であんたの名前書いてあげたよというと大喜び。

086 宿泊しているホテルの最上階のヨガホールで夕方にレッスンがあるので、お腹の調子を気にしながら参加。マントラに始まりかなり強力なアイアンガーの2時間のレッスンだったが、宿泊者以外もたくさんの人がやってきてホールはいっぱい。人気のあるクラスのようだ。窓を開けきって風が通る。虫と一緒に夕方の気配が入ってくる。気持ちのよい時間だった。まだお腹はしくしくするけれど。

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2008年3月10日 (月)

リシュケシュへ

085 乗り合いのオートリキシャでリシュケシュへ。

途中ハリドワルの町を出たところで別のオートリキシャの乗り換えさせられる。どうやら担当するテリトリーがあるようだ。

一緒に乗り合わせたインドの若い夫妻が、大きなポリタンクを持っている。聖地ハリドワルでガンガーの水を汲んで帰って、プンニャ(徳)の入った聖なる水を親戚に配るのだそう。ココナツの入った甘いお菓子を分けてもらって、土ぼこりに吹かれながらリシュケシュへ。

自分が訪ねようと思っていたアシュラムは今リシュケシュでももっとも勢力をほこるところ。リキシャで町に入るなり、ドドーンと目を見張るばかりの宣伝。ペタペタ張られたグルのポスターに「なんか違うなあ」と頭のなかでエラー音がする。とりあえずそのアシュラムを訪ねるがとても異質なまでの清潔でピースフルな庭と空間。ディズニーランドなみにゴミひとつ落ちていない。(係りの方がさっと拾うのだ) 塀の外の貧困やゴミ、牛や犬や人々の渦と対比的な金のかかった美しい庭園。

黙ってアシュラムを出た。結局アシュラムをいくつかまわったが、どこもいっぱいなので小さなホテルに荷物をおく。本屋めぐりをしてガンガーの川原でぼんやりと風をにあたる。

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2008年3月 9日 (日)

ハリドワル

ManzaDeviTempleというヒンドゥ寺院に行く。

おでこに祝福のビンディをもらうたびにお布施指令が出る。

僧侶が外国人にはこれ見よがしに100ルピー札をひらひらとふるが、5ルピーおく。

自分のおきたいお金をお渡しするのがお布施だもんね。

行きはリキシャにのったけど帰りは裏のマーケットを歩いて帰る。

小さいお店がたくさんあって楽しい。ある店で「俺は日本のコインを集めているからなにかあったらくれないか?そのかわりそれ相応のものを持っていっていいぞ」といわれる。結局日本円で買うっていうだけやんね?って思いながらも面白いので50円玉(穴があいていると人気)をあげて、ガンガーの水のはいったつぼをもらった。019 031 110

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列車でハリドワルへ

016 早朝発のShatabudi Expressでニューデリーからハリドワルに向かう。

ニューデリーはものすごく広い駅でどのプラットフォームに行けばいいのかわからず、

周りの人に尋ねるが全員があっちだこっちだと違う方向をさす。

なんとか列車に乗り込むと朝早い列車だからか、ポット入りの紅茶とクッキーに始まり朝食やペットボトルの水、マンゴージュースなどもサービスされて満足。

チケット料金に含まれているんやね。5時間でヒンドゥの聖地のひとつハリドワルに到着

した。駅近くのホテルに泊まる。275ルピーだから900円弱かな。011 014

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2008年3月 8日 (土)

出発

関空バスに乗るために駅まで歩いていく途中、思い立ってセブンイレブンで携帯用うどんを購入。私のザックを見て店員さんが「山登りですね!お天気よくてよかったですね」と。

「インドにいくんだけど、きっとうどんが恋しくなると思って」というとびっくりされて、

「ご無事で。そして帰ってこられたらまた旅の話をしに寄ってくださいね。」と送り出してもらう。大事だなあこういう一言。帰ってきたら寄ろうって思うもんね。

ちょっとしたことなんだけど。

マレーシア航空は座席のゆったりしたボーイング777で快適。

お隣の女の子はマレーシアンチャイニーズで日本の専門学校にアニメーターになるため

単身留学している。

春休みで1年ぶりに実家に帰るとうれしそう。  20歳だという。

日本に住んで1年ちょっとだけど、ストレスなく日本語を話せる。

頑張ってるよなあ、応援したいなあと思いながら「いつか○○ちゃんのアニメが上映される

のを楽しみにしてるわ」といってクアラルンプールで別れた。

さあ、私は乗り換えてインドへ。002

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