日記・コラム・つぶやき

2019年2月 5日 (火)



社会に
なじみづらい人々の
就労支援施設での
ヨーガクラスは

床が リノリウム だから
冷たいだろうと思うのに

開始してから
1時間半
眠りっぱなしの
眠り姫が いました。

いつもは
少しは アーサナも
やったりしますが

昨日は 終日
眠りまくりだったので

途中で そっと
私の ストールを
かけて

最後まで
すうすう
寝てもらいました。

クラス終了後
眠り姫が
ストールを返しにきたので

寒くなかった?
今度は 寝袋持ってくるわ
春は
眠いよねえ と

私がいうと

ぼとぼと と 泣き出して

親に ヒプノなんやら という
高価なセラピーに
連れていかれ

すごくその
催眠療法が 嫌なんだけど
お金だしてもらってるから
断れず

夜は
睡眠薬を飲んでも
眠れないのに

ここでは
眠くて 眠くて

記憶なくすくらい
寝ちゃうんです と
彼女が いいました。

看護師さんですが
色々 心身のバランスが
整わず

自傷行為を 繰り返す彼女を
親が 心配して

あちこちの
心療内科や
セラピーに 連れていく気持ちも
わかります。

でも
彼女に 必要なのは
ストール なのではと
感じました。
(そして、好きなだけ 寝たら
バランス 良くなるんじゃ?と思いました)

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2019年2月 3日 (日)

ホーリー







ホーリーという
インドの 春を呼ぶ お祭りの日は

春の お祝いに
色粉や
色水を 容赦なく
ぶっかけられるのですが

ちょうどその日に
帰国フライトだった私を

傘で かばいながら
宿の おかあさんが
タクシーに乗せてくれたのに

空港職員に
盛大に 色粉を
ぶっかけられ

すごく
華やかなTシャツで
日本まで 帰りました。

もうすぐ
ホーリーの春。

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2019年1月30日 (水)

ばばさま




しいたけの 原木切り出しを
手伝っていると

地元の方が
しし鍋を 作って
ふるまってくれました。

だけど
しいたけ農家の
おとうさんが しし鍋を
食べないので

どうして
食べないのですか?と
尋ねると

今年100歳になる
ばばさま が

ほかの人は どうであれ
山のふもと で 暮らす
私たちには

山の生き物は ぜんぶ
山の神さまだから
殺生したり
食べたり しちゃあ
ならねえ と

幼い頃から
厳しく 言われて
育ったから
との ことでした。

ばばさまは
魚も
(魚の神さまと)
目が合うからな と
食べません。

身体にいいから
ベジタリアン とか

害獣だから
殺生して
ジビエにするとか

それは ずいぶん
私たち中心の考え方であるなと

ばばさまの語りは

なるほどと
私の
腑に落ちました。

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2019年1月25日 (金)

アイヌねぎ







神居古潭(カムイコタン)という
不思議な場所に

北海道の友人が
岩登りに
連れていってくれたことが
ありました。

川のほとりに
樹々に 囲まれた
岩場があり

静かで
気持ちいいところですが

なんだか ひそひそ した
生き物の気配が ある場所で

熊 とか ではなく
目に見えない なにか

カムイコタン とは
アイヌ語で
神さまのいる 場所 なのよ と
友人が 教えてくれました。

そこに いたのは
畏怖するような
強い 山の神さまというよりは

小さな
コロポックルくんたちだったように
いまは 思います。

なにか気配があり
見ようとすると 見えないんだけど

視界のすみで
ひそっ と動く こびとたち。

『誰も知らない 小さな国』は
佐藤さとるさんの 名作ですが

ああ 彼には
コロポックルが 見えていたんだな と
わかりました。

神居古潭には
アイヌネギが たくさん
生えていて
餃子にしたら すごく
美味しかったことを
思い出します。

雪が とけたら
また
アイヌネギを
もらいに いこうと
思います。

春は すぐそこ。

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2019年1月24日 (木)

くま




亡き父は
よくお風呂で
すばる を
唄ったりしていましたが

母方の家系は
代々 由緒正しい おんちで
私も それを
受け継いでいます。

これまでの(長い)人生で
カラオケに 一度も
行ったことがなく

残りの人生でも
行く予定も ありません。


旅行会社で
添乗員のアルバイトをしていて
養護学校(いまは 特別支援学校)の添乗で

晩御飯のあと
先生が
添乗員のお姉さんに
なにか歌を歌ってもらいましょう!と
とんでもない フリを
してきて

拒否も出来ず
めちゃくちゃ 困り

大変 汗をかきながら
森のクマさんを
歌いました。

先日
就労支援施設で

半年かけて
やっと 少し
話が出来るようになった
21歳の おとなしい男の子が

どんな 歌が 好きですか?と
尋ねてきたので
固まっていると

歌うとしたら? と
さらに かぶせて質問され

も、森のクマさん です、と
答えたら
おとなしい彼が
笑いました。

それから
お風呂で
小さな声で
森のクマさんを ちょっと
歌ったりしていますが

やはり
なかなか辛く

どうかみなさん
私が ある〜ひ と 細々うたったら
大きな声で
ある〜ひ と
返してください。

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2019年1月23日 (水)

ポン酢




鍋にも
サラダにも
ポン酢が 大活躍の季節です。

いつも 泊まる宿の
ポン酢が とっても 美味しいので
どこのですか と尋ねたら

ポン酢は 手作りするのよ と
宿の おかあさんが
作り方を教えてくれました。

フレッシュな
すだちや ゆずなど
好みの 柑橘類を使うと
香りが 抜群です。

①柑橘類を しぼる。
(タネは 化粧水になるので 保存)

②醤油、柑橘類の果汁、みりん を
5:5:1の比率で 混ぜる。
(100ml: 100ml: 20mlなど)

③混ぜた液体に 昆布と 鰹節を
好きなだけ 入れる。

④放置する。
寝かすほど、味がまろやかになります。

みなさんも ぜひ
手作り ポン酢部に。

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2019年1月22日 (火)

豊かさ




インドの 田舎の市場では
基本的に
香辛料も 野菜も 干物も
はかり売り

日本みたいに
きれいな
プラスティックの
パッケージに 入っていません。

自分のカゴや
器を持参して
グラム単位で 購入し
入れて帰ります。

また
インドの自然療法の 施設では
日本みたいに
備え付けの 紙コップなどなく

自分で 持参したコップ
(私は シエラカップ)に
絞った キャロットジュースなどを
入れてもらいます。

古くさく
感じるかもしれないけれど
このような
昔ながらの やり方は
ゴミが 出ません。

日本で 普通に
スーパーマーケットで 買い物をし
1週間 暮らすと
そのゴミの量に
驚きます。

便利さだけを
追い求める

一見
満ち足りたように見える
かたよった 豊かさの
生活を

いまこそ 改めるときかも
しれません。




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2019年1月21日 (月)

春は すぐそこ




一般社会で
生活しづらい人々の
就労支援施設に

ヨーガクラスでの
お手伝いに行くようになって
半年以上が経ち

最初は
目を合わせても
くれなかった
おとなしい21歳の男の子が

最近やっと
少し 話してくれるようになり
ちょっとずつ
ちょっとずつ
仲良くなってきました。

趣味は なんですか?と
その男の子に
尋ねたら

小さな声で

お裁縫です と
うつむいたまま
答えてくれました。

自分は
脳性麻痺が 少しあるから
手の動きの訓練のために
施設で ミシンや お裁縫を
やっていたんです。

それで
お裁縫が 好きなんです と
時間をかけて
教えてくれました。

私は
とても 嬉しくなって
『縫ってほしいものが あるの』と
脊髄反射で 答えてから
考え

えーと えーと
ヨーガマットを いれる袋が
ほしいなあ!と
伝えました。

黒板に
こんな形のもの!と
ざっと絵をかいて

何年かかっても いいんだ〜と
言うと

下を向いたまま
彼が
『布を 選ばなくちゃ』と
つぶやきました。

彼が 縫ってくれる
マット袋が
出来上がるのを
生きがいにして
待とうと 思います。

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2019年1月20日 (日)

摩耶山 開運めぐり




摩耶山 開運8カ所めぐり

手ぬぐいに
指定された場所を めぐり

8カ所の
スタンプを
集めたら

満願成就です。

2016年に 一度
コンプリートしましたが

2019年版 手ぬぐいも
販売されていたので

午後から
ゆっくり山に上がり
御朱印帳がわりの 手ぬぐいを
摩耶山カフェで購入して
歩き始めました。

雨上がりで
ほとんど 登山者もおらず
ダッシュしたら
1日で 巡れるのでは?と
欲がでて

それが
道の崩落などで
思ったより 長くかかり
歩いた距離は 約20キロ

下山したら
夜景になっていました。
(冬山では もってのほか)

みなさんも
ぜひ
摩耶山手ぬぐいで
開運めぐりを。

頑張れば 1日で
まわれますよ!
朝から 登れば。


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2019年1月17日 (木)

見えへんとこにも おりまっせ




阪神大震災から
24年経ち

神戸の街は なにも
なかったかのように
たくさんの 人が
行き交っています。

震災当時
私は 自宅が全壊し

神戸方面に向かう 道路も
寸断されていたので

三宮や 元町に
再び 立ったのは
半年くらいしてからの
ことでした。

年末に
偶然 知り合った
神戸の絵本作家の WAKKUNさんは

震災で 神戸が ぼろぼろになり
多くの方が 身内や
友達を 亡くして

希望をなくしていたとき

崩れた建物を おおった看板に
このような メッセージを
描きました。

多くの被災者が
この看板を みながら行き来し
どんなに
励まされたことでしょう。

それから
数年経ち

神戸が ようやく復興してきたとき
WAKKUNさんの事務所に
一人の女性が
訪ねてきます。

彼女は
学校の先生でしたが
多くの生徒や 身内を
震災で亡くし

あまりにも 辛くて
心の病になり
仕事にもどれず

毎日 とぼとぼと
神戸を歩き回っていたそうです。

そして
なんども なんども
この看板の前で 足をとめ
泣いたそう。

でも
この絵の おかげで
なんとか 乗り越えられたから

いつか
絵を描いた方に
お礼を 言いたかったのです と
やってこられたのです。

いまは
再び
学校に戻って
子供たちと 過ごされているそう。

色々な サポートがあります。
ボランティアや
募金など
やりかたは 様々です。

芸術家の方は
その力で

お金みたいに わかりやすく
目に見えないけれど

心を あたためたり
サポートすることが
出来ます。

私も
できることを
増やしていこうと
震災の日に 思います。

(近所の つぶれた家から
どうしても 人力では
おじいちゃんたちを 助けだせなかったから

ユンボなど
小型重機の運転なんかも
できるように なりたいと考えています)

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