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2012年8月24日 (金)

生き物としての寿命

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昨日、脳卒中で首から下がマヒしたイギリスの男性が「死ぬ権利」を求めていた裁判で、イギリスの高等法院は訴えを棄却したというニュースをみた。

自ら命を絶つこともできず、医師に安楽死させてもらう権利があると主張していたのだ。

棄却判決をきいた男性は妻とともに涙をながし、結局食事を断ち、餓死する道を選び、肺炎で亡くなった。

先日、タイの相方先生とのメールのやりとりのなかで納得する一文があった。

「自然環境に自律神経が適応できなくなったり、(今年は猛暑で熱中症で亡くなる方も多かったと私が報告したので)、自分で食べ物を嚥下できなくなったら生き物としては寿命ですよ。」

コントロールされた空調システムのなかで、胃に穴をあけて食べ物を流し込んで生き続けているのは、生き物の寿命をこえた操作だと。

インドのラダック地方などの高地で生きる人々は、その過酷な自然環境と生活環境で肉体消耗が非常に激しく、「日本の80歳後半がチベットの60歳くらい」と、チベット仏教の尼僧さんがお話しされたそうだ。

「それで、自然と精神性に向かって歩いていくことになるようです」と。

こんな風にチューブでつながれ、延命措置をされたなかで、精神性に向かって本人が歩いていく分岐点はいつどんなふうにやってくるのだろう。

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