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2012年2月 9日 (木)

「道」と名のつくもの

Nec_3126 先日ニュースで、柔道が中学の体育の必須科目に取り入れられることになったと報道されていた。

柔道の心得のない先生方はあわてて研修を受け、ケガのない指導をするために大変そうである。

さて、柔道や剣道といった「道」と名のつくもの、一朝一夕に指導していけるものだろうか。

身体の動きは運動能力の高い体育の先生方ならすぐに身につくだろうが、はたして心のあり方は。

ケガをさせないための指導方法を学ぶ研修の前に、その道を知り、修める必要はないのか?

世阿弥の「花伝書(風姿花伝)」。

そのなかで年来稽古の一節がある。 少年期から始まって老年にいたるまでの年齢の変化に応じた稽古の心構えを書いたものだ。

稽古の目的は「花」を得ることである。

演技の本質、芸が目指す理念を象徴した言葉である。

少年の芸がもつ「時分の花」。(少年特優の愛らしい美)

青年の芸がもつ「当座の花」。(一芸を会得した青年の凛とした美)

壮年以降の「誠の花」。(肉体の衰えにかかわらず散ることのない花)

芸というものは頭で観念的に理解しただけでは会得できるものではなく、身体で覚えこんでゆくもの、長年にわたるきびしい稽古の積み重ねによって体得されていくものといえる。

(身体論 湯浅泰雄氏著より抜粋)

ヨーガにももちろん言えることだが、東洋的な心身論として、筋肉のみが鍛えられて技術があがっていくことは果たしてその道を修めていることになるのだろうか。

インドに端を発する「道」や芸事など、心身ともの修行こそがその道を歩むことを意味しているのでは。

中学の柔道の授業がうすっぺらにならず、誠の花につながることを祈る。

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コメント

このニュースは我が家でも話題になり、珍しく二人で語りました。運動をする上で「安全性」は必須です。「安全性」を無視して「日本の文化、伝統」を重んじようとしている文科省に怒りを覚えます。これは「道」以前の問題です。

投稿: メガネのおバカ | 2012年2月 9日 (木) 20時22分

うん、本当にそう。

先生方はとても大変だと思います。
実際に現場を見ない机上理論で決定するからこうなるんです。

深い素晴らしい文化が浅い理解で終らないように「道」を伝えていかなければ。

投稿: MARI | 2012年2月10日 (金) 08時53分

私は踊りの道をゆく者です。もうずいぶん長く踊っているのに、会得できたと言える日はありません。
永く孤独な旅路ですが、まるで必然のように、先生のお言葉やヨガに出逢えるという報酬に、私は大変感謝しています。
これからもよろしくお願い致します。

投稿: くぼともこ | 2012年2月14日 (火) 16時31分

わたしも、動機が正しければきちんといろいろなご縁に導かれるんだということがなんだか最近感じられるようになってきました。

自分のなかの灯明にしたがって、ゆっくり歩きましょうね。

またお会いできる日を楽しみに。

投稿: MARI | 2012年2月15日 (水) 07時08分

初コメント失礼します(* ̄Oノ ̄*)塚本真理さんのブログよませてもらってます:*:・( ̄∀ ̄)・:*:ファンです(笑)活気お普段はあまりコメントはしないんですけど、結構チェックさせてもらってるのにコメントしないのもアレかなって思いまして(苦笑)今日はコメントしてみました(照)というかココログ会員じゃなくてもコメントできるんですね…知らなかった(汗)もしよかったらメアド載せとくのでメールしましょー(-^□^-)塚本真理さんとお友達になれたら嬉しいです(^_^)v marikoweeds@docomo.ne.jpだよーヾ(@^▽^@)ノ

投稿: まりこ | 2012年2月17日 (金) 23時23分

駄文の日刊塚本真理をお読みいただいて恐縮です。

なかなか忙しくてブログを更新できませんが、また気分転換にでも読んでやってください。

投稿: MARI | 2012年2月19日 (日) 11時22分

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