ニュージーランドの地震の報道をみていて、遠くから歯がゆい思いをしているが、そういえばとふと思い出して、引き出しを開けた。
素朴な木の十字架に焼印で彫られたマリアさまとイエスさま。
わたしは、阪神大震災の前の夏に友人とギリシャのミコノス島を旅していたのだ。
島のなかで、港と逆側の静かなビーチにいくために、おんぼろバス(崖から落ちそうなダイナミックな運転)を待っていると、隣に全身黒い僧衣の白ひげの長いGreek Orthodox(ギリシャ正教)の牧師さまが。
片言だけど綺麗な英語を話されるので、お話しながらバスを待つ。
アテネの教会の牧師さまで、今回は少しゆっくりするためにこの島に来たこと、島の小さな教会で祈りをささげるのも目的のひとつだということなど、いろいろ身振り手振りでお話する。
人がひとり入れるか入れないかのような祠が道端にたくさんある。
牧師さま(ニコラウスという名前だった)が指差しながら、「あれはね、地中海にシケがおこるたびに人々がどうか海を鎮めてくださいって祈り、神様に通じて海が穏やかになったら、御礼にひとつ祠を作ってきたんだよ。だからこんな島には小さな祠がたくさんあるんだ」と教えてくれた。
その当時勤めていた会社の名刺の裏に、自分の名前と住所を英語で書いて渡したのをすっかり忘れていたのだが。
阪神大震災がおこり、10日間後にとりあえず出社したとき、朝一番の朝礼中に会社の電話がなる。 出てみると、片言の英語で「ハロウ、ハロウ、マリ?マリ?」と、男性がさけんでいる。
一瞬なにかのいたずらかと思ったが、必死な感じの呼びかけに「はい、マリですがどなたですか?」と(朝礼中なので小声で)たずねた。
「去年、ミコノスで会ったニックだよ。マリの住んでいるところが酷い地震でたくさんの人が死んだとニュースで見た。それから毎日ここに電話していたんだ(会社の電話番号だとしらなかった)。
「生きているんだね、無事なんだね」と、遠くギリシャの牧師さまは声を詰まらせた。
一度しかあったことのない遠い国の友人を心配して、毎日電話してくれていたんだ・・・わたしは胸がいっぱいになって、朝礼中に涙がぼろぼろとこぼれた。
数日後、遠いギリシャから送られてきた小さな郵便のなかに、この木の十字架が入っていた。
「マリやまわりのみんなを守ってくれますように」と。
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