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2011年1月14日 (金)

「孤独」と「一人」

Nec_1412数日前、新聞の記事で「孤独」と「一人」は違うととある作家の方が書き記していた。

「一人」というのは、自立が前提。
自分の時間をあじわうことが出来るのが一人。

「一人」は家でも街でもどこにでもある。その時間を一人であじわいいつくしむ人にとっては。
だが「孤独」と「一人」は違い、むしろ孤独は街のなかにあるのだと。

先日、長く看護婦の婦長さんを務めて引退された方と何気なくお話していると・・・。

婦長さんが夜勤で患者さんの部屋を見回っているとき、あるお年寄りが天井をずっと眺めたまま目を見開いているので、「眠れませんか?」と声をかけたのだそうだ。
お年寄りは口がきけないのだが、言葉はわかるので、じっと婦長さんを眺め続ける。
婦長さんが手をとって、「大丈夫、眠るまでここにいますよ」と言って静かに座った。
数十分たち、お年寄りの手の力が抜けて、眠り始めたようなので、そーっと手をはなそうとすると・・・またぎゅっと手をにぎり天井を眺める。
この繰り返しが続く。

言葉はかわさないけれど、つながれた手と天井を見つめる目からひしひしと伝わるその「孤独」というものに、婦長さんは正直うちのめされたそうだ。
人というのは、こんなにも誰かの手を求めるものなのかと。
大部屋でいつも誰かが咳をしていたりしゃべっていたりするこんな街の中の病院でこんなに孤独にふるえる人がいるんだと。

誰かがそばにいるだけで変わることもたくさんあるかもしれない。

以前、小さな子供を放置してマンションで子供たちが亡くなっていた事件があったが、その子供だけではなく実は誰にも相談できなかったお母さんの孤独があったのだ。

デイサービスでも毎回語られない言葉を感じるのだ。

誰かがそばにいるだけでも。

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