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2009年11月20日 (金)

野にあるものは

Nec_1611野にあるものは野にあるままがいい。

木々も花も生き物も。
人間のエゴで檻にいれたり、野からつんだり、それをわざわざ自分の家に持ち帰ることが昔からきらいなのだ。

それは自分が束縛をとても嫌うからだと思う。
動物園で、そして水族館で小さなスペースで動き回るみんなを見ると本当に辛くなるのだ。
私がトイレくらいの狭いスペースに一生閉じ込められたらどんなに辛いだろうと。
そしてきっと辛くてあたまと心がおかしくなってしまうだろうと。
自由のない空間で生かされることの意義とはなにか、意義はあるのか。

花は摘まない。
野にあるほうが生き生きと、うちに持って帰るより何百倍も美しくイノチに満ち溢れているから。

人間の手によって作られた愛玩用の見た目綺麗な花は美しいか?
雑草という草はないのである。
野にあるものが生き生きとそこで光をあびているさまほど美しいものはないのではないか。

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