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2009年7月13日 (月)

北風と太陽

Nec_1279 Nec_1280「マリ先生はどのポーズをやってもほめてばっかりやから、うまく出来ているのかよくわからない。他の先生はポーズのときギューって直してきれいなポーズになるように教えてくれるのに。」と以前とある方から言われたことがある。

穏やかに手を触れたりすることはあるけど、私はギューっと身体に無理な負荷を与えることがきらいなのである。
身体をあじわうために、出来るだけ器具も使わず自分の身体の重さや動きだけで整えていくのが自然だと考えているからだ。
そして、きれいに見えるポーズより、いかにその人がのびのびと動けているかが私の基準だからだ。
だから、どんなに美しいポーズをきめていてもその人が歯をくいしばっていたり、呼吸が浅かったりするならそんなのアサナ(ポーズ)ではなくてストレッチ大会なのだ。
その人の意識がきれいに見せるために外側に向いていて、内側を内観できていないならヨーガではない。

まあ色々な入り口があって、いろいろな段階があるからそこからどんな風にかわっていくかも大事なところなんだけど。

私の師、ヴィシュワ・ジのクラスはそれこそ年代もレベルもいろいろな人が参加していて、正座も出来ない膝のわるいお年寄りから、ヨーガの先生レベルの人までさまざま。
でも呼吸法とほぐしをうまく使いながらみんなが一様に満足できる素晴らしいレッスンなのである。
そしてヴィシュワ・ジは絶対にギューっとポーズを正したりしない。
こわばっている人のこわばっているところにそっと手を触れて「力を抜いて」と静かに語るだけで、その人はすとんと力が抜けていい状態になるのである。

私は日本で生徒を足で蹴って「全然出来てない!」と叫ぶヨーガの先生を見たことがある。
(後ろからけりをいれたくなった)
逆効果だろうと思うのだ。
生徒さんの心は恐怖でこわばりがちがちのポーズ。なんてひどい。

ここにいるけどここにいないような、そんな感じで身体や心を味わうのがヨーガのあり方だと思う。自分のための時間、自分の内側にむかう旅。

北風と太陽なら太陽を愛するなあと考えてしまうのである。

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コメント

千里の馬 常に在れど 伯楽 常には在らず
そんな故事にもありますが…人の才能を引き出してあげることが出来る人こそが、貴重であり大切なんですなぁ。人を導かんとするのは容易なことではありませんよね…教育とは、EDUCATEて言葉がありますが…引き出すことから始まる、そんな事も知らない教育者が多い気がします。お会いした時思ったのですが、人の魅力に人はついてくる…まり先生には当然に感じるのかも知れませんが、先生の人々との接し方には、とても大切な素晴らしいものがあると思います。それは決して容易に身につくものではありません。うん、素晴らしい!!って、堅いコメント…ごめんちゃい。割愛させていただくと、感銘を受けました…って、だけです、なはは。

投稿: くりぼう | 2009年7月14日 (火) 20時08分

そうか、EDUCATE・・・思わず納得しました。素晴らしい、胸に刻んでこれからも言葉を送っていこうと思います。

甘さと愛情も違うと思うし、怒ると叱るも最初のモチベーションの出発点が違うと思うんだよね。
言葉の動機の出発点が間違っていなければ、きちんと伝わるような気がして。

ありがとう、振り返るきっかけになりました。

投稿: MARI | 2009年7月15日 (水) 07時46分

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