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2009年4月25日 (土)

龍神村から高野山へ

P4250047 P4250043 P4250051 Nec_1048 Nec_1049 Nec_1051 日高川をそのまま北上すると龍神村である。

龍神温泉は日本三大美人の湯とうたっているだけのことはあって、泉質はすばらしくトロリとした透明のすべすべ湯である。

こんな小さな村に「曼荼羅美術館」という看板が。

静かな渓谷のなかで降りしきる糠雨のなか、ブッダアイが霧の中に浮かび上がっていた。訪れたのが早朝だったのでまだ開いていなかったけれど、ぜひここには次回来てみたい。

そのままけっこう険しい山岳ロードを抜けて、標高1300メートルの護摩壇山経由で高野山へ。

日本にいつどんな形でヨーガが最初に入ってきたのかがここしばらくの私の知りたいテーマだったのだが、やはり密教という形で(雑密はその前からぼつぼつ伝わってきていたが)空海が大陸から伝えたようである。

空海にかんする伝説はたくさんあるけれど、やはり高野山でずっと行を続けた空海の霊廟のある高野山にいってみたいと以前から考えていた。龍神側からぬけるとまず大きな杉並木に囲まれて奥の院が。

この奥の霊廟にいまも空海の身体が安置されていて、そして未だ息絶えずやがて復活するとの言葉から、毎日あたたかいお食事が運ばれているのである。奥の院の一番奥は撮影はできないが、ものすごく大きな杉の木たちがあたりを守り、とても静謐な気配に満ちている。しかし、奥の院の入り口からずっと有名人(豊臣秀吉とか織田信長とか親鸞上人とか)のお墓のそばに日本の有名企業がこぞって大きな墓標をたてて、もうなんだか電波塔のようになっている。

空海は高野山がこんな風になるとは思っていなかっただろうなあとぼんやり考えながら、霊廟まで歩く。世界遺産になってしまったから、しょうがないのかなあ。こんな企業名をでかでかと掘り込んだ墓石こそが名誉欲というか執着心のあらわれではないのかな。

四国の遍路のお寺は高野山のほうにむいて建てられていると聞いた。霊廟で「同行二人」と書いたお遍路さんの白い衣装の人たちが般若心経をとなえている。雨音に混じって、ダラムサラで聞いていたマントラとまったく同じだなと思った。

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