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2009年3月25日 (水)

さよなら カシミールの村

Img_4611 P3240236 P3230214 P3230168 Img_4697 P3230195早起きして歩こうと思っていたが昨夜からの雨がけっこう激しくふっているので、ゆっくり朝ご飯をたべてパッキングする。

この静かな村をはなれるのがつらい。
もっとここにいたい。
山に入りたいし、この村で過ごしたい。

でも今回、こうやって望めば縁がつながるように、またここに呼ばれることもあるだろう。
インドってなんだか不思議で、心から望んだらちゃんとそちらのほうに引っ張ってくれる場所なのだ。

昨年もリシュケシュだけで、きっとヒマラヤの麓まではいけないだろうなあと思っていたら、偶然ガンゴトリの近くの村ハーシルまでいけることになったし、今回も日程的にダラムサラまでしかいけないだろうなと思っていたら、導かれるようにカシミールのこの村に来ることができた。
ヒマラヤの神さまが呼んでくれたのかな。次回はもうちょっとゆっくり山に入りたい。

山や村の人にさよならを言って、ジープで2時間半かけて空港のあるスリナガルに向かう。

ここがダルレイクだと湖に連れて行ってもらうが、たくさんのボートハウス(宿泊も出来る)が浮いているほかはなんだか街中だし、大きな公園もあのヒマラヤの原生林に比べたら人工的な香りがして興味なし。やはり村に帰りたい。

旅行代理店でエアチケットをピックアップし、空港に向かう。

予想はしていたが、このスリナガルの空港はセキュリティと軍兵の数がすさまじい。まず車をおりて荷物(一個一個これはなんだと調べられる。チベットのシンギングボウルが仏具とか楽器というイメージがないらしく「このメタルの武器は・・・」となる。英語が話せる人が少ないのでめちゃくちゃ時間がかかる)チェック。

その後空港入り口でまず50人ずつしか入れない。再度荷物チェック。またしてもシンギングボウルが引っかかり、説明。カシミールからの州を出るためのフォームに記入(もう出国のイミグレーションなみである)。その後男女別で手荷物とボディチェックを3回。(ファンデーションまであけさせられる。もちろん気が遠くなるくらい時間がかかる)カメラは電池を抜き、手に持って撮影できないようにして飛行機に乗り込まなければならない。

もうこの時点でぐったり。飛行機が飛び立ったときは少しほっとしたが、上空から眺めたスリナガルの空港はおおきな迷彩色に塗られて、まわりの菜の花畑からひときわ浮いてみえる。余計に目立つと思うけどな。

デリーの暑い空港におり、たくさん着込んでいた服を脱いで、インドは広いなあとつくづく思った。昨年宿泊した空港の近くの小さくて親切な宿にとまる。

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コメント

昨日 伺って PRANAVA 早速拝見しました。
すごい!
優しくて 穏やかで 上品で 
そんな外見からは想像もできないような!  
こんなにも たくましく 過酷?な 旅を 一人でなさってこられたなんて!


うーん? 自然に囲まれ 穏やかで 純粋な人々と接していると 先生のように 素敵になれるのでしょうか!


ああ、地球には 本当に いろいろなところが
あって 素晴らしい!

みんな それぞれの生活を 一生懸命生きているのですね。

心から 平和であってほしいです。

  

投稿: みんな大好き | 2009年4月 3日 (金) 08時36分

いえいえ、とんでもありません。
自分でつくる旅をどんどん楽しんでいらっしゃるAさんの足元にも及びません。
わたしはちょっとお金がたまったらすぐに旅に出てしまうので、貯金というものが出来ません。
でもまああの世に旅立つときに、ブランドもののバッグを持っていけるわけじゃなし、旅先で出会ったばばさまの笑顔やたくさんの人とかわした言葉を胸にだけ持ってあの世に行くんだろうなと思っています。
以前会社の同期だったブランド好きの女の子が「旅なんてあとに残らないじゃない」と私に言ったけど、一番あとに残るものちゃうんかなと思っています。
いつもいつもAさんの笑顔で癒していただいています。
ありがとうございます。

投稿: MARI | 2009年4月 3日 (金) 13時39分

本当に 旅って 楽しい!
いろんなものが 沢山つまっていて!
その 土地々の歴史 文化 人々のくらし。   私などは ちょっと表面ぐらいしか ふれることしかできません。 それでも  直に接することは 本当に 楽しく 又 いろいろなところへ いきたくなります!

早いうちに いかないと~!
体力いりますものね!

おととし 中欧をまわってきました。 ひとつ目的があって。  昔50年も前 そのころ文通が流行っていて たまたま ハンガリーの少女と文通をしていました。当時は共産圏です。

当時の手紙を大切にもっていたので ハンガリーに行った時  もう住んではいないでしょうが どんな所から 手紙をおくってくれていたのか~   是非見に行きたくて  手紙の住所をたよりに 宿泊しているホテルの人や いろいろな人にお世話になり 苦労してやっとその番地にたどりつきました! どうも このアパートらしい!  何軒かかいてあるプレートを よーく見ると なんと!その中に彼女の苗字がやっとよめるぐらい 古めかしく小さな字でかかれていたのです!  もう感激!!     そーっとベルをならすと アパートの扉がひらきました。 細い螺旋階段を登っていくと クララのお母さんか ドアを開けて待っていてくれたのです!!
残念ながら クララには会えませんでした。(LAKE BARATONに家族と旅行中)クララや家族の写真をみせていただいたり 母上と話?している間に連絡をとってくださって~   するとクララから電話! お互いに ぎこちない英語で話すことができました!   まさか 半世紀をへて こんな事になるなんて~!


やっぱり 人と人のつながりは 素晴らしい!

旅は 楽しい事がぎっしりつまった 宝箱!(どういうわけか 苦労したことの方が いつまでも心に残っているのですが)

投稿: みんな大好き | 2009年4月 5日 (日) 12時06分

なんて、素晴らしい!
そんなことってあるんですね。
まだそこの住所にお母さんが住んでいて、文通のお友達と時間を越えて話が出来るなんてこれもすごい縁だなあ。
なんだか涙が出てきますね。

以前「うそつきアーニャの真っ赤な真実」という本を読みました。
たしか小さい頃共産圏(ルーマニアだったかな)に住んでいた筆者が、仲良しだったアーニャに会いに何十年ぶりに昔の村を探しながら訪れるのです。
現実にこんなお話を体験されるなんてすごく感動的です。

中欧や東欧はぜひゆっくり自分の足で訪れたいと思っています。

またお話を聞かせてください!

投稿: MARI | 2009年4月 8日 (水) 08時33分

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