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2008年7月 3日 (木)

仕事編 Ⅱ 添乗員

Img_2201 さて前回はたった一日しか続かなかった仕事のことを書いた。今回も学生時代のアルバイトで、例の最短就業仕事を辞めたあと面接にいった仕事のお話である。

某K日本ツーリストで修学旅行の添乗員(体力と元気がある方)という募集を見て、前回おしとやかな仕事を選んで向いていなかっただけに、今回は体力と元気という言葉に魅かれて応募した。

一日先輩のプロの添乗員について研修のあと、すぐに修学旅行の添乗業務本番である。私が添乗した修学旅行はすべて伊勢志摩への旅行。そのうちほとんどが近鉄の青空号という専用列車で伊勢に向かい、お伊勢さまにおまいりのあと、ミキモトパールアイランドで真珠の養殖を見学、鳥羽水族館、ブラジル丸でカレーを食べるというツアー。実際わたしも小学生のころの修学旅行はまさにこのルートであった。

修学旅行は実際は先生方がほとんどのまとめをやってくれるので、私がやるのは旅館や施設入場時にバウチャーを渡すことと、時間通りにイベントが進むようにタイムキーパーをすることなどなどである。一番大変なのはバスとは違って電車はオンタイムに発車するので、大人数を大急ぎで狭い入り口から乗せて、うまく着席させることである。そのあとは子供の間にすわって、おやつを分けてもらったりしていた。絶対おなかが痛くなる子がでたり、大暴れで怪我する子もいるので手当てしながらできるだけオンタイムで動く。本当に体力と笑顔のいる仕事だったけどまあこれは楽しかったし向いているなあと思った。

一番記憶に残るのはある養護学校の修学旅行である。ほかの小学校とは違って、分刻みのスケジュールではなくとてもゆっくりした時間割。水族館もどこもいかずに伊勢志摩の静かな海辺の宿にいって、海辺で遊んだりキャンプファイヤーをしたり。重度の障害がある子には先生がほぼマンツーマンでつくので、わたしはそのほかの子供たちと手をつないで歩く。全部で20人くらいのおだやかな旅行である。みんなとても人懐こくて、わたしの腕には子供が鈴生りになってもうまっすぐ歩けない。学校以外の人がとてもめずらしいのだ。みんなで貝ひろいして遊んだ。

貝拾いの途中、トイレにいきたいという子を連れて旅館に帰った。そのときトイレの横に古いピンボール台があったが、すっかり壊れてうごかない。トイレから出てきた子供がピンボール台を触って、「動かないね」というので、「古いし電気きていないからね」というと、「○○養護学校やから?」と私に尋ねた。えっ?と聞き返すと「いつも養護学校の子はさわったらあかんって言われるしこれも電気ぬいてあるのかな」と。

胸にズキっときた。こんな小さな小学生が気をつかうほどそんな言葉を言われ続けているのか。

この子たちの前にはたくさん小石が転がっているけど、小石なんかで怪我しないようにみんなが元気で歩いていけますようにと思った。

夜はキャンプファイヤー。普段大きな火をみない子供たちはすごくわくわくしている。そして突然「添乗員の先生にひとつ歌をうたってもらいましょう」といわれた。えええええーっ、聞いていませんというと今決めましたと校長先生に笑顔で返された。どうしよう、本当に子供のころから親譲りのオンチで・・・。そして歌なんて急に言われてもなにも思い浮かばなくて、石のように固まってしまった。そうだ、「も、森のくまさんでいかがでしょう?」というとみんなも知っているとのこと。あれならセリフ(というかソロパート)少ないしなんとかなるかと、大汗をかきながらなんとかみんなに助けてもらって歌いおわった。

なんだか自分の修学旅行より思い出深いのがこの修学旅行だった。

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